ずいぶん遠くへ来ちゃったわ
旧居を離れること1000km、わたしの天地はアマガエルの鳴き声で満ちている。
なんのことはない、新居は四方を田んぼに囲まれているのだ。
カエルが良く鳴く日は晴れと雨と曇り。カエルが鳴き止むのは雷が落ちるその瞬間だけ。
田んぼの向こうには小学校があり、今の時期は運動会で賑わう。現代の小学校は春〜初夏に運動会を行う。わたしが小学生の頃は、運動会といえば秋にやるものだったが、気候が崩壊し続ける昨今では、かろうじて暑すぎない時期を探してようよう運動会は開催できるものなのだろう。そのうち、運動会は真冬の行事となるかもしれない。
田んぼと山林に響く「剣の舞」。音楽ばかり響いて子供の声は小さい。在りし日に比べてあまりにも数が減ってしまったのだ。それでも、この地域の子供は比較的元気だ。どの子もよく日焼けしていて、人懐こくてお節介で、情に厚い。歩いている余所者にも元気よく挨拶を返してくれる。「知らない人を見たら防犯ブザーを引きましょう」と刷り込まれる子供たちに比べれば、この土地はよほど健全に思える。
日の光も、水も、空気も、何もかもが見知ったものとは違う。
ずいぶん遠くへ来ちゃったわ
退職した実感が湧かない。
ただ、喪失感だけが大きく心を占めている。
就職して、退職した。1000km離れた土地に引っ越した。
大学に入学した時、初めて親元を離れた。
初めて一人で布団に寝た夜、嬉しくて嬉しくて眠れなかった。
生まれ育った都会からは比べ物にならないほど田舎の町だったけれど、何も気にならなかった。
希望を抱くよりも早く、未来は輝いていた。そして、だいたいその通りになった。
今は違う。
おそらく、わたしは就職して一度死んでしまったのだろう。
わたしは知らず知らず、東京のオフィスの天井が全世界と信じ込み、液晶画面とデスクの間に穴を掘って体を埋めていたのだ。
関東が懐かしいか? ― 懐かしい。
後悔している? ― そうかもしれない。
職場に戻りたい? ― 戻りたい、かもしれない。
そのためにパートナーと離れてもいいか? ― いや。
仕事に未練はあるか? ― いいや。
人に会いたいか? ― 会いたい。
もう一度聞く。職場に戻りたいか? ― いや。
結局、わたしは仕事、というよりは人間関係が欲しかっただけなのだ。誰にも必要とされなかった学生時代、わたしは静かに病んでいた。就職して、やはり病んではいたものの、人に必要とされる実感はあった。それが唯一の、働き続けるエネルギーになった。
退職の彼岸。意味のない罪悪感だけがそこにあって、わたしは蹲っている。
いずれ自分が立ち上がることをわたしは知っている。また、歩き出すことはわかっている。
だから、今だけはこのままで。