何たる迷惑であることか!

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あなたの才能が怖いの 萩尾望都「一度きりの大泉の話」を読む

 ページを閉じて、これは悲しみの話だと思った。

 もっと仲良くしたかった、こう言えばよかった、でも出来なかった。という悲しみの話だ。

 

 私は、萩尾望都氏の熱狂的なファンである。

偶然、叔父の蔵書していた「ポーの一族」を手に取って読んだ14歳の夏から(そう、あのときわたしは14歳だった!)ずっと、私は萩尾作品に焦がれ、読み続けてきた。

 

 忘れもしない2009年の年末。新宿で萩尾望都原画展とサイン会をやるというので、私は当時住んでいた新潟から夜行バスで上京した。雪の降る新潟から、夜明け前の凍てつく新宿へ向かった。ほぼ徹夜で整理券の列に並んだが、ちっとも眠くなかった。運良く整理券が手に入り、サイン会の列に並ぶことができた。感激のあまり卒倒しそうだった。

 

 あの!萩尾望都が!目の前に居て、動いている!!

 

 萩尾氏は色紙にサインをさらさらと書いて、私へ手ずから渡してくださった。新潟から来ました、と言ったら「新潟。あの、お米の美味しい。。」と、お声がけくださった。訥々とした、決して雄弁ではないけれど、優しいお声だった。

 

 あの!萩尾望都が!声をかけてくださった!!こんな馬の骨に!!!

 

 直筆のサインを貰っただけでなく、私のような、どこのものとも知れない馬の骨にまで、優しいお言葉をかけてくださる。萩尾氏は繊細な気遣いができる方なのだ、と実感した出来事である。

 

 さて、本題。"一度きりの"大泉の話について。

 

二つの才能

 ゴッホゴーギャン太宰治三島由紀夫のように、時として方向性の同じ才能を持った人物同士は、激しく反発し合うことがある。

木原先生は「あなたね、個性のある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」と、キッパリと言われました。

 

 私は萩尾氏の熱狂的なファンであると同時に、竹宮恵子氏のSF漫画のファンでもある。これまた叔父の蔵書に竹宮漫画があり、勝手に読んで楽しんでいたのだ。

 

 「私を月まで連れてって!」や「地球へ…」は、とても面白かった。とりわけ「私を月まで連れてって!」は、伸びやかで可愛らしいタッチの絵と、明るく夢のあるSF世界がマッチしていた。 

 

 私が萩尾・竹宮両氏のSF作品を読んだのは2000年代なので、すでに連載当時からは30年近い時間が経っていた。呑気な一読者に過ぎない私は、「絵は可愛いし、話は面白いし。二人の優れた作家の漫画を読めておトクだな」くらいにしか思っていなかった。

 

  萩尾氏と竹宮氏。二つの才能を引き合わせたのは増山女史という、ひとりの女性だった。

 美少年趣味のあった増山女史は、最初は萩尾氏の友人として竹宮氏と萩尾氏を引き合わせ、その後は竹宮氏と親交を深めるうちに彼女のブレーン的存在となっていく。名家の出で博識な増山女史。自身は何を書き記すこともなかったが、彼女の存在は萩尾・竹宮両氏に大きな影響を与え、やがて竹宮氏の代表作「風と木の詩」が生まれるきっかけにつながっていく。だが、それは萩尾・竹宮の決定的な別れの原因にもなった。

 

 佐藤史生さんはいつも増山さんのことを心配していました。(中略)

「のんたん(増山女史)は、本当に心が繊細な人なのよ。あのひとは自分で自分が守れないのよ」

「それ、どういうこと?」と聞くと、

「わたしが彼女のためだと思ってちょっとアドバイスをすると……動揺して大変になってしまうの……だから、のんたんを追い詰めてしまいそうで、いろいろあるけど言っても仕方がないのよ」

 

 個人的に、増山女史は「残酷な神が支配する」のキャラクター、サンドラのイメージである。優しくて上品で、かつ弱さという根源的な悪を抱えた人物。

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残酷な神が支配する」屈指の悪役、サンドラ

 

 萩尾ファンを長くやっていれば自明のことであるが、萩尾漫画は1970年代のある時を境にして、絵柄がガラリと変わる。「トーマ」や「ポーの一族」で見られた主線が太く、丸く柔らかいタッチから、「メッシュ」以降の繊細で硬質な絵柄へと変化したのだ。

 

 「一度きりの大泉の話」には、何故このタイミングで絵柄が変化したのか、理由が書かれている。絵柄の変化は、竹宮氏との決別を表すものだった。別れといっても当時は毅然としたものではなく、混乱と悲しみの末の別れであったのだが。

 

萩尾漫画に出てくる心理的疾病

 決別のショックから、萩尾氏は心因性視覚障害を患う。目を開けていられないほどに激しい痛みがあり、その症状は漫画家として致命的なものだった。

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「訪問者」のグスターフは、プレッシャーから眼病を患う

 

 また、決別を申し渡された際のことを、萩尾氏は長い間忘れていたという。決別事件の直後に、竹宮氏から「あなたに言ったことは忘れてください」と言われた。萩尾氏はスケッチブックのページを破いて挟み込んだ。竹宮氏から「距離を置きたい」と言われてからずっと、竹宮氏の作品は読まず、触れず、遠ざかろうとしてきた。そのまま、暗示にかかったかのように、本当に当時のことを忘れてしまったのだ。

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「X+Y」のタクト。アスペ気味のタクトは、やたらと暗示にかかりやすい

 しかし、周囲は萩尾氏を放っておいてはくれなかった。 

 竹宮先生のことも、増山さんのことも、関わることなく、何も聞かず何も読まずに日々を送っていました。

 同じ漫画界とはいえ、別々の世界に住んでいるような感じでした。

 考えなければ楽でした。関わらなければ波風も立ちません。何も関係がないままに、全てがゆっくりと過去になり、遠ざかり、このまま静かに仕事をして暮らしていきたいと思っていました。

 それがこの数年、急に大泉についてのアプローチがあちこちからやってきて、戸惑っています。

 

そうです、「少女漫画革命」とやろうと、増山さんと竹宮先生は話し合っていらしたのです。(中略)これから素晴らしい喝采がやって来るはずだったのです。

 それを私がぶち壊したのですから。どうぞ、大泉の思い出話はお二人でなさってくださるよう願います。

 すみません、私は遠慮させていただきます。 

 

 萩尾氏は、竹宮・増山両氏との決別の原因について、自分が彼女たちの「排他的独占愛」に侵入してしまったせいだと述べている。この論自体は面白いが、おそらく真実は違うと思われる。奇しくも、凡人の私には、当時の竹宮氏がどのような気持ちで萩尾氏との決別に至ったかが理解できる---天才にはわからない。嫉妬よりも激しい、実存を脅かされる恐怖が。

 

 (竹宮氏は)明るくて良い人で、とても好きだったのに。

 冷静で親切で、尊敬していたのに。

 でも、私には人間として良いところがない。だから嫌われたんだ。

 

 違う。私はあなたの才能が怖いの。

 あなたと一緒にいると、自分が消えてしまいそうになるの。

 だから、離れましょう。

 私はあなたの才能が、あなた自身の存在が怖いのだ。

 

 

 ページを閉じて、これは悲しみの話だと思った。

 もっと仲良くしたかった、こう言えばよかった、でも出来なかった。という悲しみの話だ。

 きっとそれは、竹宮氏の方も同じだったのだと思う。

 閉ざされた扉は、もう二度と開かない。