何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

まぼろしの曽祖父

 ブログでも書こうかな〜と思って下書きを漁っていたら、こんな記事を見つけたのでサルベージ。今から4年前、二十代半ばに書いた記事である。

 

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  一族にとって昨年最大の衝撃だったできごとは、祖父が婚外子だったことですかね。

 この記事↓で書いたように、2014年の5月に私の祖父が逝去した。滲むほど空の青い、五月晴れの日であった。

祖父が死んだ - 何たる迷惑であることか!

 

 祖父の死後、死亡届を出すために父が役所で祖父の戸籍を取ったところ、戸籍に不明な点を発見したという。

 通常、夫婦から生まれた子供はその両親を結んだ間に引いた垂線に表記される。しかし、祖父の上には夫婦の表記が無かった。祖父は、曽祖父のみから下りた線の先に居た。隣に、二人の夫とその間の子供に囲まれた曽祖母の名前があった。祖父の名前は生みの母親から拒否されて、ぽつねんと紙に浮かんでいた。

  曽祖母は家付き娘で、生涯を通して得た二人の夫には、曽祖母の苗字が刻まれていた。対して、祖父は生まれてから死ぬまで、ずっと曽祖父の苗字を貫いた。

  私の旧姓も曽祖父のものだったから、疑うことすら無かった。

  祖父は、婚外子だったのだ。

 

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  曽祖父母の時代。曽祖父が無くなったのが大正10年あたりだから、一世紀近く昔になる。その時代には、「家」というものが現代の比にならぬほど強い力を持っていた。(それこそ宮尾先生の「蔵」の世界である)

 

蔵〈下〉 (中公文庫)

蔵〈下〉 (中公文庫)

 

 

 伝聞に過ぎないが、曽祖母の更に上、私の一曾祖父。。。ややこしいので爺さんと呼ぶが、とりあえずこの人物は不動産をうまく運用し、地主として一代で財を築き上げたという。実際、現在も祖父の家の周囲一帯は全てこの爺さんの土地で、今はマンションが立ち並んでいる。(諸事情あって、それらの土地は祖父に一片の権利もない)

  爺さんには財があった。だが、名士として尊ばれていたかどうかは定かではない。つまりは成金だったのだろう。とにかくプライドが高く、欲の深い人物だったという。いつの世も、成り上がり者は似たような精神のようだ。それで、一人娘の婿を選り好みした。条件をつけまくり見合い回数を重ねた結果、やっと婿を迎えて、間に息子が生まれた。だが、その婿は早くに亡くなってしまった。死因はおそらく病死と思われる。当時はスペイン風邪が流行っていた時期だから、それに罹ってあっさりと亡くなったのかもしれない。この早世した第一の婿は、跡取りを残してそそくさと退場した。

 曽祖母は家付き娘だったから、家のためにも一刻も早く次の夫を迎える必要があった。

    

 ここでようやく、私の曽祖父が登場する。

 私の曽祖父であるこの人物は、謎の部分が多い……というか、謎しかない。

2015年において、判明しているのは

 これらの事項だけである。
 
 曽祖父と曽祖母は、なんらかの方法で交際し、子供として祖父が生まれた。そこには結婚の形跡がなく、さらに祖父が生まれて1年と少し後に曽祖父は亡くなってしまった。曽祖母は、涙の乾く間もなくさらに新しい夫を仕入れた。この三番目の夫は、例外的に長生きした。疫病神のような曽祖母の夫運の悪さは、三人目にようやく断ち切られたわけだ。
 
 祖父の種違いの兄は、曽祖母の苗字と土地一帯を受け継いだ。戦争に行くこともなく、今も地主として莫大な不労所得を得ているという。対照的に、祖父は苗字すらもらえず、家では冷遇され、戦争で死にかけて何とか戻ってきた。その後、極貧生活をしながら職を転々とし、最終的には商店街の一角でパン屋として大成した。片や土地の生み出す金で左団扇、片や地べたを這いずる貧窮。種こそ違え、同じ母親の腹から生まれた子供へ、この扱いの酷さはなんだったのだろうか。それには、祖父の出自が関係しているように思えてならないのである。
 
 これらの事情は、私の両親が結婚するときには完全に伏せられていた。仲人のおばはんは、祖父の義父兄弟から嘘の情報を与えられ、長い間母は騙されていた、とのことである。長い年月が経った。祖父は亡くなり、祖母はアルツハイマーを発症した。もはや誰も祖父の出自の秘密を知る者はいない。歴史に記されない闇は、すべて過去の帳の向こうへ消えたのである。
 
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 これらの文章は、祖父が亡くなった直後に書かれていた。その頃の私は自分の家族に対し、ものすごく怒っていた。でも、怒ってはいても表現できない。遣る瀬無い思いを通勤電車の中で認めていたのである。
 いま読み返すと本当に読みづらい文章で、恥ずかしい限りだが、これも一つの成長の証かと思うのである。