何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

君はアル中

※オチはありません  

 

 会社の同期に、二十代半ばにして若年性アルコール依存症に罹ってしまった男がいる。

 見た目では驚くほどにわからない。面長の老け顔で、紳士的な物腰と穏やかな声の持ち主である。現世利益よりは精神的なもの、とりわけ宗教に強く惹かれており、将来は神学を学びたいという。その姿勢が高度に訓練された賜物であることは、宴席で初めてわかる。

 

 酒が入ると一転、暴言は吐くわすぐ手は出るわの「困った人」に成り下がる。一言で言えば、酒乱である。その上、暴力の矛先が自分より力の弱い女性にしか向かないという獣ぶり。(私もやられた、大の男がやる肩パンは普通に痛い)

 当然、誰もが彼とは距離を置きたがる。愛に飢え、愛を求め、愛を乞うておきながら身近の人間を刺して回る。そして、これまた酔いが覚めると萎縮しきった紳士に戻る。凶暴なのが本質か、愛に飢えているのが正体か。おそらくどちらの要素もあるのだろう。それが見え見えだからこそ、周囲はやりきれない。

「就職は元からある問題のあぶり出し」とはよく言ったもので、彼は就職して生来の狂気を加速させてしまった。現実と理想のギャップから酒を飲むようになった。最初の一杯、二杯、三杯、、、若い脳は破壊されるスピードも速い。酒が止まらなくなるのに半年の時間は十分すぎた。入社二年目、彼は休職した。その後は休職と復職を繰り返しつつ、ぎりぎりの所で会社に留まり続けていた。

 

 私と彼は所属部署が違うため、研修以外で顔を合わせることは滅多にない。だから、彼のことはたまに話題に上ることはあっても、意識の隅にすら止まることはなかった。

 ところが先日、偶然廊下で彼に出会った。ひと月前に突如頭を丸めたという変貌にも驚いたが、何よりも印象に残ったのはその目だった。

 

 彼の目は、光というものが何もなかった。それは瞳ではなく、洞穴だった。漫画の表現にある、べた塗りで塗りつぶした点のように、その目はがらんどうだった。

 

***

 わたしは以前読んで彼に貸した、吾妻ひでおの「アル中病棟」を思い出した。

以下、簡単なあらすじと感想。

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟

 

 

あらすじ】
 連続飲酒によって廃人状態にまで追い込まれた漫画家・吾妻ひでお。彼は、入院したアルコール依存症専用病棟・通称「アル中病棟」で、超個性的な人々と、恐るべき依存症の本質に出会うこととなる———依存の恐ろしさと、依存状態から回復していくまでの過程を淡々と描いた一冊。

 【感想】
 依存の入り口はどこにでもある。カフェイン・ニコチン・アルコールは親しみやすい麻薬として市民権を得て久しいし、公共ギャンブル機関(皮肉)であるパチンコ店の看板を見ない日は無い。目覚めてから眠るまで、インターネットから片時も離れない人だって珍しくは無いだろう。依存症は、ある日突然発症するのでは無い。「いつの間にか」はまり込んでいる人生の罠なのだ。

 本書の筆者・吾妻ひでおは、「ビッグ・マイナー」と言われ、カルト的な人気を誇る漫画家であった。しかし、ギャグ漫画家の宿命か、作品が自己模倣に陥っていくことを許せず、完璧主義に囚われた挙句に酒に溺れるようになる。

 酒を飲んでいる間だけは、何も怖くない。気分も明るくなるし、他人とも自信を持って付き合える。酒を飲んでいる間の自分は無敵だ。。。つかの間の幻想の代償はあまりにも大きかった。

 心身に酒が及ぼす影響は日に日に大きくなり、ついに精神依存が身体依存に変わったとき、彼は不治の病、「アルコール依存症」を発症してしまったのだった。

 さて、前作「失踪日記」と同様に、本作でも筆者の体験が淡々と綴られていく。
 一口にアルコール依存症と言っても、それぞれの人となりは複雑だ。

 「一から十までやり直して真人間になります」—言ったそばから再飲酒を繰り返す人
 「退院したらまず飲むね!」—信念を持って依存症の道を突き進む人(だったらなんで入院したんだよ
 面倒見がよく、人から慕われるが、福祉(おそらく生活保護)を受けて生活している人
 計画的にお金を使うことが出来ず、困窮すると詐欺や集りでしのぐ人
 病院以外に居場所が無く、十年以上病院が住所の人(でもこつこつ貯めたお金で●●●には行ってる

 筆者が入院した病院では、三ヶ月のプログラムで、アルコール依存症の教育と、回復し続けるための支援をみっちり行っている。しかし、一回の入院で再飲酒(スリップという)に陥らない例は20%程度という。何故、アルコール依存症患者は酒の魔力から逃れられないのか?
悲しいことだが、人間は依存対象に対して完全に無力なのだ。認めたくは無いけれど。

 

 ***

 彼の名誉のために言っておくと、彼は病気と闘いながらもきちんと社会復帰を果たしている。与えられた役割を全うし、上下からの評価も得ている。なのに、何故あのような目をしているのだろう。社会に存在するだけでは、十分ではないというのか?

 

 その答えを、ずっと考え続けている。考え続けなければいけないのだ。人間が人間であるために、易き道より正しい道を選ぶために。