社会人1年目の感想
2013年に新卒として入社(院卒)して、2014年までの1年間。振り返ると修羅のような日々であった。
2013年04月
エイプリルフールが入社式。夜に祖母が倒れたとの報が入り、リクルートスーツで帰る道すがら喪服の準備を命じられる。4月1日ならぜんぶ嘘になればいいのに。
ちなみに、祖母が倒れた報は介護に当たっていた父の勘違いであった。エイプリルフールを体現した祖母(84歳女性)。
新人研修ではプログラムの洗礼を受ける。COBOLとフローチャート地獄に堕ちる。未だにCOBOLは一語もわからない自信あり。
2013年05月
試験をいっぱい受けさせられる。コーディングの成績順に席を並べられ、高校時代のような圧迫感を感じる毎日。ストレスのせいか?耳が遠くなり始める。
2013年06月
コース分けがあり、COBOLではなくjavaをやる方のコースに振り分けられる。COBOLぢごくから逃れられてほっとするが、javaコースは情報系学部出身の天才ばかりで農学部卒の凡骨はやはり苦しむ。
研修卒業のための動画作成に携わり、昼は研修、夜は紙芝居を作る日々。これは結構楽しかった。
2013年07月
いよいよ配属となる。人間関係に恵まれたことを幸いに、あまり仕事しない日々。この夏はとにかく暑かった。
2013年08月
まだそこまで仕事は大変じゃない。盆休みに旅行などする。
2013年09月
長患いだった祖父の容体が悪くなり、同時にその他親族の精神状態も悪化する。毎朝毎晩家屋で怒号が飛び交い、ペットは放置され、家は荒れ放題。マイルドな地獄。
2013年10月
試験があったらしいがよく覚えてない。このころ耳の悪さに拍車がかかり、低音部がかなり聞こえなくなる。知り合いのカウンセリングを受け、「あんたら家族は全員が共依存だ」と言われる。この言葉とこの機会は大変役に立った(当時は反発したがw)。相手の依存心を重たく感じることはあっても、自分が相手にしがみついているとはわからないものだ。
2013年11月
家庭のストレスがひどすぎてほとんど記憶がない......が、iPhoneの記録を見るとデザフェスとか行ってる。それなりに楽しんではいたようだ。
2013年12月
寒い暗い12月のある夜、車窓に映った顔を見てぞっとする。院生のころ、就職活動がうまく行かなくて、自分が社会に適合できないことが恥ずかしくてたまらなかった。今はどうだ?社会に適合できてる?こんな社会に適合してしまった自分が、もはや恥ずかしい。周りに合わせて合わせて、自分を殺すことに必死で、いつしか自分が何者なのか忘れてしまった。底につきつつあったのだ。
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家庭のストレスは次の年の初夏に祖父が亡くなるまで続いた。だが、この年の12月に「底つき」したことで親を捨てる気概が出来たと今では思う。就職の苦しみ、というよりは「周囲の期待に応えようとした結果、絶対に期待に応えられない現実」を受け入れられず苦しんでいたのだ。
未だに介護地獄は終わっていないし、自分が完全に親離れしたとも言い難い。(子供が生まれたら頼る気満々という屑人間)。それでも、わたしは自分で自分の口を糊する程度は稼いでいる。華やかでも輝かしくもない、地味に地味に続く、自立した生活。
それが、就職した最大の成果だ。