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何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

少女のように華やいで

茫漠

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---私 夢を叶えたのよ

 

  Tweetの内容は、「毎日かあさん」の「齢七十五になったおばあさんが離婚したいと言い出し、晴れて一人暮らしを始める話」なのだが、そういえば母方の祖母も「一人暮らしがしたい、ひとりで暮らしてみたい」と事あるごとに言っていたことを思い出した。

「ひとりで暮らしたい」。洗濯物を畳む手を止めて、ふっと視線が宙に浮くとき、いったい祖母は何を見ていたのだろう。当時、子供達は家から出ていたけれど、夫である祖父は存命だった(ちなみに今も存命)ので、もし祖母がほんとうに一人暮らしをしたいのであれば、如何にマイルドな形であってもまずは別居をすることになるのだろうな、家族が別に暮らすってどういうものなのだろう、想像できるようなできないような、とにかく子供ながらに気を揉んだものだった。

 

 わたしの祖父母はふたりとも信州の片田舎に生まれた。祖父は当時としても背の低い小男で、なおかつ頭ばかりやたらと大きい火星人のような風貌であったのに対し、祖母は手足が細く長く、きゅっと小さな顔に二つの瞳が大きい、なかなかの美人であった。成績も良く、何より運動神経に優れていて、女子バスケットボール部では小柄ながら活躍したという。祖母の母、私の曽祖母が和裁の先生であったこともあり、手先が器用で何でもそつなくこなす人であった。そんな祖母が、なんの因果か見合いで嫁いでしまったのが、頭でっかちで手先も心持ちもつとに不器用、それでいて甘え心ばかりべったりと深い男、それが祖父であった。

 

 わたしが物心ついた頃には、既に夫婦仲は致命的な状態で膠着していたように思う。祖父と対峙する祖母の顔には、絶望よりも濃い疲弊が湛えられていた。祖父はとにかく難しい人で、食事ひとつ取ってもおそろしい偏食であり、あれが食べられないこれは食べたくない、と出されたお膳に文句を付けることが平然と行われた。極め付けは主食たるご飯の炊き方で、歯が悪い祖父は、いわゆる「ふつうの固さ」で炊いたご飯を食べられず、お粥のように軟らかく炊かなければ手をつけなかった。ゆえに、祖父を除く家族三人のご飯を炊く炊飯器のそばには、いつも小さな粥鍋が置かれていたことを思い出す。男性が家事をすることは恥ずかしい、とされるような蒙昧たる時代であったから、祖母は家事を一手に引き受けなければならず、その上、脱サラした祖父は法律事務所を経営しており、祖母を無給の事務員兼秘書として強制的に雇用していたので、その苦労の量たるや如何程であっただろうかと思う。幸か不幸か、祖母は仕事のできる人であったので、家庭でじっと祖父の世話をするよりも事務所で仕事をする方がよほど楽であったようだったが。

 祖父は話が通じない人種、というか地球人に対しての火星人みたいなものであったので、抗議も嘆願も大概は無視されるか酷い言葉で応酬される。このような家庭がしあわせであるはずがなかった。「家の存続」という大義の もと、遺伝的多様性の維持のために致命的な男女のミスマッチを「世間体」で圧殺する、それがひとむかし前の見合い結婚である。それにしても、祖父母の結婚はミスマッチだった。綴じられないレベルにぶっ壊れた鍋。火星人ちっくな祖父の特性---病的な視野の狭さ、過剰な集中力、身体能力のぎこちなさ、不全すぎるコミュニケーション能力、が(おそらく)生まれ持った脳の構造の違いによるものであり、(おそらく)遺伝性のものであり、娘と孫にがっちり遺伝していたことが判明するのは祖父母の不幸な結婚から半世紀以上経ってからだった。

 

 祖父の側に立ってみると、また様相は変わってくる。祖父は海のない信州から出て海軍兵学校を優秀な成績で卒業し、士官としていざ軍隊に配属されん、というときに敗戦を迎え、それまでのキャリアが無になってしまうという憂き目に遭っている。ただし、状況によっては勇んで海に出た途端に轟沈してわたしの遺伝子ごと海の藻屑になっていたかもしれないので、これは運命の不思議かもしれない。とはいえ、果たされなかった夢ほど際限なく膨らむものだ。世が世であれば海軍将校であったかもしれない、というキャリアの幻影は祖父の背中にルサンチマンとして取り憑いた。戦後、家長である曽祖父(祖父の父親)を亡くした生家はあっという間に困窮し、若い身空で必死で就職先を探さなければならなかった理不尽や、学歴が無いために民間企業での出世が頭打ちになった憤懣は、すべて見合い結婚した嫁へのこじれ切った甘え、とどのつまりは虐待となって噴き出したのであったのだろう。許されることではないとはいえ。

 

 話は冒頭に戻る。「ひとりで暮らしたい」。祖母はその夢を叶えることはなかった。わたしが中学に上がるころ、平均寿命よりもだいぶん早く祖母は亡くなった。大腸がんだった。亡くなる直前、「女学校のおともだちが遊びに来てくれているの」と茶箪笥の引き出しをがたがた引いていたことを思い出す。誰も玄関に訪れてはいなかった。引き出しはずいぶん前から空っぽで、茶箪笥は骨董品として飾っていただけだった。

 インテリアに一切興味のなかった祖父に対し、祖母は空間を趣味よくコーディネイトするのが得意であった。茶箪笥にはいただき物の博多人形を飾り、花瓶には生の花、壁にはかわいらしいパステル画。もし、満願かなって祖母が一人暮らしを始めていたら、それら全てを持って行っただろう。合わない夫と暮らすだだっ広い一軒家から、下町の六畳一間のアパートへ。狭いながらも玄関は掃き清められ、ところどころ剥がれた砂壁を埋めるように絵が掛けられて、食べたいものを食べたい時間に食べて、少女のように華やいで、、、夢は夢のまま、いろいろなものを飲み込んで、祖母は逝ってしまった。

 

 天国があるかどうかは知らないが、十数年後、孫娘のわたしは一人暮らしを満喫した。少しでも供養となってくれれば幸いである。

 

---私 夢を叶えたのよ