何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

紫陽花の花

  親を嫌いになりたい子どもはおりません

 紫陽花が咲く頃になると、今年も父の日が巡ってくる。母の日のカーネーション作戦ほど派手ではないものの、店頭のショウウィンドウには「感謝を込めて父の日のギフトを贈りましょう」的なポスターがちらほらと貼られている。ネクタイを締めた、黒いハットの「お父さん」アイコンが六月の湿気と相俟って目に刺さる。

 父の日のポスターを忸怩たる思いで眺めているのはわたしだけではないはずだ。
 憎んでも憎んでも、父を愛して、愛されたくて泥濘を這いずり回っているのはわたしだけではないはずだ。

「お父さんのことをわかってあげて」
母が言う。
「口ではああいうけれど、お父さんはあなたのためにしてるのよ」
母は言う。
「あなたさえ我慢すればそれでいいの」
母が、言う。

 お母さん、わたしはお父さんに疎まれているの。それがどれだけ悲しいかわかる?

 六月の道は紫陽花の色がよく似合う。はじめ赤色の花弁が土の酸に反応して、青紫に染まっていく。綺麗な花なのに、紫陽花が好きになれないのは、父が紫陽花を嫌っていたから。

 父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)


 すべての父なるものに、いつまで支配されればいいのか。

 父の日を虚心に迎えられる日は、まだやって来そうにない。