何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

草庵を焼く

 ぼくにとってのブログとは、小さな庵のようなものだ。

 

 広大なネットの海に漕ぎだして、まずは自分の居場所を作る。インクの染みより小さな点に、だんだんと足跡が増えてくる。小舟ひとつでたどり着いた場所に、船着き場ができ、家ができ、店屋が建って町が興る。町に訪う人は更に増え、都市ができ、国ができる。国にはルールがあり、守らない者は排斥される。しかし、ルールはあっても義務はない。国民の家に窓は無く、出入り自由のドアが恥ずかしげもなく開け放されている。家の中で大きな音を立てれば野次馬が集まり、集まるそばから飽きていく。フラッシュが焚かれ花火が打ち上がり火事が起き、指一本でぜんぶ消える。燃えようが壊れようが、すべて大海の細波に過ぎない。何もかもが流動的で、刹那的で、空疎。

 

 ぼくもご多分に漏れず、人の山に惹かれて舟を漕ぎ漕ぎやって来た。ネットの波間に棒を刺して点を打ち、窓のない小屋を建てた。それは、生まれて初めて誰にも寄りかからないで作った、ぼくの居場所だった。狭く暗いネット世界の片隅で、ぼくはいきいきと表現を始めた。ひたすらに書きたかった。心の内に積もり積もった、「言葉に出来ないことば」を解きほぐし、放った。窓のない小屋のなか、滔々とぼくの独り言は続いた。ドアが開け放しになっていることにも気づかずに。

 

 ぼくの独り言を聞いた、という人がやって来た。ひとり、またひとりとぼくの小屋を訪うようになった。数は少ないけれど、その数は着実に増えていった。耳をふさぎ目を閉じたい人がぼくの小屋には好んで訪れるようだった。ぼくは、小屋に草壁を葺いて庵を編んだ。自分こそ耳も目も開いていないくせに、訪問者を迎え入れてはもてなすふりをした。どんなに心を込めたところで、振りはふりだった。

 ある日、機会な風体の男がやって来て、庵に上がらせろと言った。彼は紫紺のマントを着込んでいた。足は無く、代わりにメビウスの輪のような記号がぐるぐると回っていた。ぼさぼさの髪に隠れた目には血が滲み、赤く鈍く光っていて、なおかつ腕は女のようになめらかだった。彼は、音楽家であると名乗った。彼が、明らかに常軌を逸していることはぼくにも容易にわかった。しかし、彼を取り巻く引力―狂人の魅力とでもいうのか―に、ぼくは抵抗できなかった。ぼくは自分から、死神を体内に招き入れたのだった。

 

 それからの日々は、目を明けて見る悪夢だった。彼はマントの下から錆びた斧を取り出し、ぼくの顔を刈り落とした。飾りの皮を破られたぼくは、何も取り繕う事ができなくなった。彼は癌細胞のようにその力を日々いや増していった。窓のない庵の中で、ぼくは足を刈られ、腸を割いて啜られた。この有り様は、すべて自分のせいだった。現実世界には生きられない、ネットの強靭な悪意の侵入を許してしまったがための、罰だった。

 

 最終的に、ぼくは庵を焼いた。草壁が焼け落ち、居場所の棒を引き抜くと、庵はネットの波に呑まれ、跡形もなく消え去った。リンクをたどった先の消滅、永久の沈黙。ぼくの数年間は、最初から何もなかったのだった。

 

 そんな風にして、ぼくはまた、こことは別の場所の庵を焼こうとしている。これで三軒目だ。焼きたくて焼くわけではない。消えたくて、消えるわけではない。被害者面をする前に、そういう輩を呼びこむ俺にこそ、原因があると気がついてもいいころだ……

 

 

雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 (新潮文庫)

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 神々のリアル・ワールド、アトス島。中でも"ダイ・ハード"なカフソカリヴィアの坊さんは、とにかく人が嫌いで嫌いで、庵の周りに人が増える度に庵を焼き払って更に奥地へと進んでいったそうだ。庵を捨てるだけでなく焼き払うというのが徹底している。

 でも、いっかな人嫌いでも猫には優しいのが良い。カフソカリヴィアの猫には、カビパンだって無上の贅沢なのだ。