韮の花とて蝶集む
化粧は女のバトルスーツ
ランコムの化粧下地(SPF 50/PA +++++) 5000円
シャネルのブラウンマスカラ 3000円
ディオールの化粧水 11500円
エスティローダーのファンデーション 5400円
シュウウエムラのつけまつげ 1800円……
以上、わたしが実際に購入したことのあるブランド化粧品である。
改めて金額を見ると、化粧下地一本(50ml)買うお金を本屋に持っていけば、いったいどれだけの本が買えることだろう……とぞっとしてしまう。
ちょっと気になる図鑑も、待ち望んだ作家の新刊も、名著と言われる古典文庫までまとめて買えるだけの金額が、持続時間せいぜい十時間の魔法に投資されるわけだ。
朝装着して、昼には崩れるバトルスーツを毎日せっせと塗り固めている……
何たる無駄であることか!
女性の役割というのは実に無駄が多い。
素肌に膜を張りまつげを持ち上げまぶたに影を入れ輪郭をぼかす。
下膨れ引いて二重足して凸凹引いてクマ引いて、ごまかしてごまかしてようやく一人前の顔になり、
二十四時間三百六十五日鏡に呪縛されて一日が終わる。
だって美しくないと人間として扱ってもらえないからだ。
女として生まれてしまった以上、周囲の基準に見た目が達していなければ、社会の仲間に入れてもらえないのだ。
そう、素直に信じていた時期もあった。
何たる迷惑であることか!
ほんとうの自信を持つということ
社会人になって三ヶ月が経過する頃には、すっかり過剰適応が板に付いてしまっていた。
「世間様」たる集合神の下では、「目立つこと」は殺人よりも重い罪であった。
出る杭は徹底的に打って打って打ちまくる世の中では、目立たないことが一番安全である。だから、何をするにも人目が気になった。標準偏差から少しでも上にいれば不安になり、少しでも下にいれば不満を燃やした。
このような精神状態がいい人生を作るわけもなく、わたしの世界はどんどん頑なになり、縮んでいった。
役に立たない精神科に大金を叩いてみたり、そこで望んでもないのに発達障害判定されたり、自傷行為の真似事をしたこともあったが、それらはわたしを救ってはくれなかった。
わたしを救ったのは、自立すること、精神的に成熟することであった。
具体的には、親を捨てた。
それによって、不思議なことに社会に対する過剰適応も、少しだけ和らいだ。
鏡に映る顔はなんら変化していないのに、自信を感じられるようになるだけで鏡の中の顔が全く違って見えるものだ。
わたしは社会に認められるために化粧をしているのではない
男性様に舐められないために、化粧をやらされているのではない
わたしはわたしの意思で今日もバトルスーツを着る
社会のために、わたしが合わせてやっているのだ
あくまでもわたしの人生をわたしは主体的に生きている
わたしは生れつきの皮一枚で価値がある
それは比較ができるものではない
わたしには価値がある
吸って吐き出す空気のように
蛇足
美容に関することを考えるたびに、思い出すエピソードがある。
それはわたしの師匠の話だ。
学生時代にある芸道を習っていたわたしは、マンツーマンで師匠のお稽古を受けていた。
師匠は自身を絶世の美女、どころか人類史上最大の美女であると自負していた、、、ので、クレオパトラか自分か、小野小町か自分か、のレベルである。(楊貴妃は肥っていたと聞くので、同じ枠には入りたくないらしい 師匠は鶴のように痩せぎすだったから)
狭い世界だったものの、師匠はその道では日本で随一の人間として知られていた。そんな師匠にも、一つだけ怖いものがあった。それは時間だ。
過ぎ去る時間は平等に若さを切り取っていき、代わりに齢を載せていく。
師匠は自分が年を取ることを許せず、認めず、信じることができなかった。
機会があればいつでも時間の神に抗議しようと考えていた。
「年を取ってしまったわ」
「なまじ若いころに綺麗な時分があると、どうしても今の姿と比べてしまうものなのよ」
「失ったものを数えるのは辛いわ」
頻繁に鏡を見てはため息を吐いていたので、お側に侍(らされ)っていた弟子が「お変りなく綺麗ですよ」と適当な慰めの言葉を掛けると、師匠は大きな目を遠くへ向けて、こう言ったものだった。
「いいわねあなたは、綺麗な時期がなくて……」
不器量に若さなど不要、が師匠の信念なのだったww