何たる迷惑であることか!

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書くことについて

 先日、新聞を読んでいたら興味深い記事を発見したのでメモ。

 

「良い書き手 育てたい - 東京・筑波大付属駒場中学校・高等学校 澤田英輔さん」

(朝日新聞 2018年3月4日)  

学年の約半数が東大に現役合格するトップ校の中・高校で、澤田先生は国語を教えている。文章を書かせる「ライティング・ワークショップ」という授業法で知られる先生の一人である。

 

 

 今学期は、A4で2枚以内の小説かエッセーを書く課題に取り組む。(中略)

先生はまず、「文章の終わり方」と書いたプリントを配布した。(中略)

 意見や感じたことを書く意見文やエッセーなどの場合。

  • 最後に内容をまとめる「要旨型」
  • 自分の考えを表明する「表明型」
  • 自分の心情を開示する「心理型」

 これらは終わりを直接的に書くタイプだ。

 一方、意見を直接的に書かないタイプとしては、

  • 結論に結びつくような象徴的な比喩やエピソードなどを書く「間接型」
  • 結末らしい結末をあえて書かずに終わる「省略型」
  • 結論が書かれた後に何か別の内容を付け加えて終わりにする「付加型」

 上記の3タイプがある。

 

 「自分で書くようになって、書き手の心理的な負担がわかるようになりました。評価される不安も感じ、成績のつけ方も変えました」と澤田先生は言う。

 大事にするのは、良い作品を書かせることではなく、良い書き手を育てること。教師が目を向けるべきなのは「作品」ではなく「書き手」だ--。

 

 思い思いの場所で、好きな格好で書き始める。手書きでも、パソコンでも、スマホでも構わない。ヘッドホンやイヤホンで音楽を聴いている子、本を読んでいる子もいる。(中略)

 「問題演習をしても国語能力は伸ばせない。書く時間、読む時間を大切にすることから、書き手、読み手は育ちます」

 

先生は、書いている生徒を一人一人巡回する。手にはタブレット端末。その中に、一人一人の生徒の構想、課題、モデルや、毎時間の生徒とのやりとりを記録し、それを見ながら困っていそうな生徒に声をかける。このやりとりを「カンファランス」と呼び、もっとも大切にしている。

 

「一番必要な時に必要なことを助言する、教師はそれでいい」

 

 

 以下、澤田先生へのインタビュー内容。

 

入試や成績を上げるために書くのでは、良い書き手は育ちません。

  私は「作家の権利10カ条」というものを大切にしています。

 

  1. 共有しない権利
  2. 書き直したり、消したりする権利
  3. どこでも書ける権利
  4. 信頼できる読者を得る権利
  5. 書いている途中で迷って、どこに行くかわからなくなる権利
  6. 書いたものを捨てる権利
  7. 考える時間をとる権利
  8. 他の作者から借りてくる権利
  9. 実験をしたり、ルールを破ったりする権利
  10. パソコンを使ったり、絵を描いたり、紙とペンで書いたりする権利

 文章を他人に晒すことは不安を伴いますが、文章を良くする上で効果的でもあります。だから信頼できる読者である「編集者」にも育てようと3人組の「編集会議」で助言もし合います。欠陥指摘や理想の押し付けでなく、書き手の現状を理解し、理想に近づける手伝いをする。教師も同じです。生徒たちにとって、いつか読み書きが幸福に生きるための人生の道具になればうれしいです。

 

 【感想】

 私は幼い頃から書くことが好きで、書かない人生はありえないと思っている。しかし、いわゆる学校で受けた国語の授業は、問題演習を行うばかりで、書くことについてのテクニックや理論を体系化して教えてくれるものではなかった。

 中学で、高校で、こんな先生に出会いたかった。