何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

毒婦譚

※本記事は、北原みのり著「毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記」と、スタインベック著「エデンの東」の内容、および物語の核心に関する記述を含みます。 

 

 

 

 2017年4月14日。午後3時、木嶋佳苗被告(42)の上告が棄却され、死刑が確定することになった。

 たまたま私はネットニュースでこの報を聞いたのだが、もはや上告をせず、あくまで自分の意思で死刑を選択する姿が、あの女性らしいと思った。

 

 平成に現れた毒婦、木嶋佳苗。数々の詐欺事件と、いくつかの不審な死。明らかに不自然な状況にありながら、今日に至るまで殺人に関する決定的な証拠は得られていない。)そして、刑は裁判員制度という「感情」によって決まった。彼女は殺人犯か。それとも、詐欺師には違いないが、殺人にまで手を染めてはいないのか。もしや、今見えているのは彼女の犯罪のほんの一部で、より多くの犠牲が隠されているのか。死刑が決まってしまった以上、これらの疑問は永遠に解決することはないだろう。

 

 多くの一般女性の例に漏れず、私も彼女の生きざまに並ならぬ興味を持ったひとりである。私は彼女を知りたいと思った。私は彼女について書かれた本や、彼女自身が発信するブログにどうしようもなくひかれ、読み漁った。彼女の言葉、生きざまには抗いがたい魅力がある。

 例えば以下の文章。死刑確定を受けて、彼女が「遺言」として書いたものだ。

headlines.yahoo.co.jp

 

 塀の内でささやかな料理を楽しみ、下着を替え、夜は最高級の寝具と季節の花に包まれて眠る。縦糸に自身の優雅な生活を、横糸に実母への尽きぬ恨みと葛藤を物語る。「金と女と事件」の醜聞を糧とする新潮が載せるにしては上品な文章だ。

 

 私は季節ごとに自分で献立を作成しています。官給の食事の他、差入れや購入で得た材料で料理らしきことをするのが楽しみのひとつで、わけてもサンドイッチのバリエーションは豊富。ヤマザキの食パン、明治屋のコンビーフ、由比缶詰所のツナ、味の素のマヨネーズ、雪印のバターにチーズ、ソントンのジャム、サクラ印の純粋はちみつ、果物などを揃えると、1斤のパンで作るサンドイッチは原価が2000円ほどに。コーヒー、紅茶、ココア、緑茶、牛乳、ジュースなどの飲料やお菓子も販売されていますし、ヒルズにいると物欲が小さくなるので、飲み物と手作りサンドイッチを口にできるだけで十分幸せです。

 私の生活スペースは、単独室と呼ばれる独居房。ひとつのフロアに66の部屋があります。房内は1帖分のフローリング・スペースに洋式トイレと洗面台があり、3枚の畳部分に布団や木製の文机、私物の棚に保管バッグ、衣類かご、裁判書類を置いています。埃と他人の視線からそれらを守るため、すべてをパステルカラーのタオルで覆っているのですが、部屋がすっきり明るくなり快適で一石二鳥。

 

 

 はっきり言って、「読み物」として普通に面白い。拘置所の中で作るサンドイッチ、甘いココア、絹の褥。狭い独房の中を自分好みにコーディネートして生活する様は、おとぎ話のお姫様のようだ。

 しかし、文章の端々からは彼女の残忍さが垣間見える。

 なんとも目まぐるしい動きに説明をつけるのは難しいのですが、きっかけは夫から「交通事故で怪我をして入院中だ」と連絡を受けたこと。(中略)

 言うまでもなく、私の支援の中核を担ってきたのは彼なのです。

 

 例えば、本人のブログにも再々登場した関西弁の「夫」。なんと、自身の過失から重大な事故を起こし、肉体的にも金銭的にも彼女を支援できる立場には無くなってしまったという。支援者が支援に値しなくなった時の彼女の見極めは素早い。

 

 逡巡しつつも、面会や差入れのスケジュールが狂って生活に差し障りが出るなかで離婚協議を始め、一方で再婚相手を探すことにしました。(中略)

 一番尽くしてくれる人を“精選”したということになります。

 

 即座に「夫」と離婚して他の支援者から適切な人材を選び出し、新しい「現夫」として据えている。それだけでなく、前述の関西弁の夫は「前夫」から養子縁組をして「養父」の身分としたのだ。本人は小菅の拘置所から一歩も動かずに、まるで植木鉢の植え替えのように、複数の男を動かした。刑務所の中で死刑の執行を控えながら、彼女は極めてドライに結婚し、離婚し、再婚し、娘になり、着実に「一族」を増やしているのだ。

 

 ただ、これほど社会の空気から自由な人でも……と思うことは、この「遺言」には実母への葛藤が描かれていることだ。

 今回、筆を執ることにしたのは、母親への思いをはっきりと記しておきたかったからです。

(中略)

 母は、執筆をやめ出版社と縁を断たなければ一切の支援を打ち切る、弟妹や甥姪たちとの交流も禁じると宣告し、それは確かに実行されました。拘置所内での生活が外部の支援なしに立ち行かないのは後述する通りです。
 こういう「悪意の遺棄」、要するにほったらかしが虐待に当ることや、表現の自由に関する説明を弁護士から受けても聞く耳を持たず、支援者からの差入れ品を含む預託物は私の同意なく母が廃棄しました。その蛮行以来、私は彼女について考えることをやめていたのです。実際にサポートをしなくなった母によって否定されたも同然だった私の生命が判決で再び否定されると思う時、「ある決意」が頭をよぎるようになりました。

  いい年の大人が「親に虐待されている」という訴え。そして、(愚かな親による)「蛮行」の文字。端麗な文章の裏で、母親への恨みが満ち潮のように膨らんでいる。北原みのりの著書「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」には、木嶋佳苗と母親(および父親)の関係が、以下のように記されている。

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

 

 

 中央大学の法学部に学んだ父は、リベラルな親であろうとしたのだろう。娘には「女の子らしさ」ではなく、知性と自立を求め、教育に力を入れた。

 木嶋佳苗の生まれた1970年代といえば、未だに女は嫁に行くことを優先されていた時代だ。娘に教育を与え、自立を求めた彼女の父は、当時としては非常に先進的な男性であったと思われる。

 

 父と母は、共通の知人を介し恋愛で結ばれたが、夫婦を知る人の多くは、「あまり合っていない感じがした」と言う。家庭を第一に考える父に対し、人前に出るのが好きで、PTAや婦人会の役員を積極的に務め、化粧品の販売や生協など、次々と新しいことに飛びつく母は、小さな町の中では自由すぎるように見えたのだろう。娘には自立を求めるリベラルな父も、妻には紬を着て家で家族を守る貞淑な妻を求めていたという。

 しかし、子どもには自立と学問を求めながら、妻には家庭的なものを求めていたことに、矛盾がある。奇しくも、木嶋佳苗が起こした婚活詐欺事件でアピールしたのは、「家庭的で男を包み込む女性」だった。それでいて相手からお金を引き出す時は「支援」という言葉を使う。矛盾に貫かれた彼女の行動。それは、自立と献身を同時に求める、父の想いに因るものだったのかもしれない。

 

 別海町の取材で、夜、飲み屋に入って周りの人に話しかけると、誰もが佳苗の家族を知っていた。洒脱で知的だった父のことを悪く言う人はいなかった。一方、(中略)自分の時間を守るように外を飛び回り、おしゃべりで前に出ようとする母に、町の目は冷ややかだった。

 強引さとマイペースで、どこかちぐはぐなエピソードは、佳苗に重なる。誰もが「佳苗ちゃんの顔と頭の良さは父親似、ずれているところは母親似」と言った。  

 

 一方、彼女の母親は田舎町で持て余されていたという。やたらに前向きで、押しが強く、強引に周りを巻き込む母親。何をやっても世間一般の常識とは外れる母親。周囲に合わせることができない母親……この二人は互いに憎み合いながら、恐ろしいほどに似ている。自分は世間に迎合しない、相手には対等に・敬意を持って接してもらいたい、と公言する木嶋佳苗。他方、男の欲しがる家庭的で優しい嫁を演出し、多額の金を巻き上げた木嶋佳苗。彼女は、父親と母親の期待に引き裂かれ続けていたのかもしれない。

 

***

 木嶋佳苗の言葉、思考、ふるまい……それらと同時代に生きる中で、私にはどうしても想起する人物がいる。

 ジョン・スタインベックの小説「エデンの東」に登場する、キャシー・エイムズ(Cathy Ames)だ。(なんと、英語版wikiがあった!) 

エデンの東 新訳版 (1)  (ハヤカワepi文庫)

エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)

 

  スタインベックは、キャシーについて作中で以下のように記している。

 

この世では、人間の親に怪物が生まれることがある。

  

 キャシーは19世紀後半、アメリカ東部の田舎町に生まれた。平凡な家庭には過ぎた、美しく賢い娘だった。輝く金髪に、離れぎみの瞳は榛色。バラの蕾のような小さな唇と、華奢で小作りの四肢。ハスキーな声音でささやかれると、抵抗できない甘さがあったという。ひとは見たものを信じる。美しいものは正しく、清らかであると幻想を投影する。逆もまた然りだが、今回は割愛する。美しいもの、可愛いものは罪から遠ざけられ、こんな綺麗なひとが悪いことなどするはずがない、と思われる。

 そして、キャシーが愛らしい容姿を持って生まれたのは、自然が仕掛けた罠であった。

 

 キャシー・エイムズはある性向を持って(あるいは欠いて)生まれ、その性向(の欠如)に支配され、突き動かされながら一生を送ったのだと思う。バランスホイールの重さやギアの比率が微妙に狂っていた。

 ほかの人とどこか違い、その違いは、生まれたときに既にあったと思う。障害者は欠けた部分を訓練で補い、限られた分野では健常者以上のこともできるようになる。キャシーも同様だった。

 生まれつきの違いを利用して、世界に波風を立て、周囲に苦痛と困惑をもたらした

子供の頃から何かがあった。人は何気なくキャシーを見て、そのまま他へ視線を移動させるが、直後、なぜか違和感にとらえられ、視線を再びキャシーに戻す。確かに目から何かが覗いていたような気がするのだが、見直すともう何もない。(中略)

 

違和感といっても、立ち去りたくなるような不快さではない。むしろ、もっとよく見ようとし、近づこうとし、いったいこの子の発散する何が気になるのかを知ろうとする。

 キャシーの嘘にはいつも邪気があった。罰を免れ、仕事をさぼり、責任から逃れるための嘘であり、自分を利するための嘘だった。

 人間は、様々な欲望や衝動を隠し持っている。一皮むけば、感情の地雷、我欲の列島、劣情の沼が露出する。ほとんどの人はそれを隠していて、自分一人の時だけこっそり抑制を緩める。人が心の奥底に持つそうした衝動を、キャシーは知っていた。そして、自分のためにそれを利用するすべを心得ていた。ひょっとしたら、人間には隠すべき欲望や衝動しかないと思い込んでいたのかもしれない。(中略)

 

 人間のこの部分を巧みに操り、利用すれば、相手を支配し、その支配を維持できる……そうキャシーは悟った。性は武器であり、それを用いた脅しに抵抗は不可能、と。(中略)

 

 確かに、ある意味、人間は軽蔑に値する。絶えず性によって欺かれ、たぶらかされ、責められる人間。それがなければ、どれほどの自由を手に入れられることだろうか。が、もちろん、その自由には欠点が一つある。

 性なしでは、人間が人間でなくなり……そう、怪物になることだ

  幼少の頃から、キャシーは周囲の人間を魅了し、従え、いいように弄んだ。近所の少年たちを少年院送りにし、若い教師を自殺させ、自分の両親すら事故に見せかけて焼き殺した。冷酷無比の売春組織の元締めを虜にし、多額の金を貢がせた。後に男のヒステリーに遭って頓挫したが、これが元となって資産家の男と出会い、完璧な淑女を装って結婚。双子をもうけるも出産後は本性を現して夫をピストルで撃ち、大けがを負わせた。家を出奔し、地元の売春宿のマダムに取り入って、これを毒殺。やがて、カリフォルニアいち邪悪な売春宿の経営者となった。

 巧妙に罪の追及から逃れ、不動の地位を築き上げたが、後年、彼女は容姿の衰えと健康状態の悪化、そして疑心暗鬼に苛まれることとなる。

 

「あなたには何かが欠けている。みんなにあるものが、あなたにはない」

  彼女の悪の源は、皆が当たり前に持っている良心が欠如していること、持っていないものへの憎しみ故だったのだ。

 

 キャシーを怪物だと言ったとき、私は確かにそう思っていた。だが、いま虫眼鏡を手にして顔を近づけ、キャシーという書物の細かな文字を読み、脚注にまで目を通してみると、果たしてそうだったろうかと思う。

 問題は、キャシーが何を望んでいたかがわからず、当然、それを手に入れたかどうかもわからないことだ。何かに向かうのではなく、何かから逃げようとしていたのだとしても、逃げ果せたかどうかがわからない。

 ひょっとしたら、キャシー自身は自分が何者であるかを周囲に伝えようとしていたのに、共通の言語を持たなかったため、伝えられなかっただけなのかもしれない。生き様こそキャシーの公式言語だったとも言えよう。よく発達していても、解読不能の言語だった。

 悪い女という一言で片付けるのは簡単だが、なぜ悪かったのかがわからないままでは、そんなことをしても意味がない

 誰にとっても自分こそが世界の基準だ。自分が良心を持たない存在であれば、思いやりを持ち、罪の意識を持ち、後悔も葛藤も躊躇もする周囲の人間は、狂っているようにしか見えないだろう。しかし…… 

 

 これまでやってきたことは、やりたくてやったのではない。すべて、やらずにはいられなかったことだ。

 

 わたしは、ほかの人と違う。何かをほかの人以上に持っている。

 

 ただ……ほかの人も、わたしにないものを持っていて、それが何なのか、わたしにはわからない。何だかわかれば、もう大丈夫なのに。きっと、以前からずっと---大丈夫だったはずなのに……。

  彼女は怪物に囲まれ、怯える子どもだった。ほんとうは、みんなが人間で、自分こそが異形の怪物だったのに。

 

 最終的に、世紀の毒婦キャシー・エイムズは、自殺して果てる。モルヒネの過剰摂取による静かな死。世界と自分の違いに突き動かされ、数多くの罪を犯してきた身にとって、死こそ安らぎだったのかもしれない。

 

 ***

 

 木嶋佳苗の死刑は確定した。もし、容疑が真実であれば、彼女は複数の人間を短期間で、「虫でも払うように」淡々と殺したことになる。

 死刑が執行される以上、真実は永遠にわからない。すべては闇の帳に消え去るのだ。これを時代の敗北と言わずして、何と呼ぶだろう?

  

キャシーは甘い香りを残して去った。