何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

障害は隠して生きていきたい 「発達障害グレーゾーン」を読む

 能力の凸凹があり、社会生活で困難を抱えているが、障害というほどでもない「発達障害グレーゾーン」と呼ばれる人々がいる。彼らは、社会でどのように生きて、働いているのか。

 

   姫野桂著「発達障害グレーゾーン」を読んだ。

 

  こういう本を待っていた。以下、心に響いた文章を抜粋していく。

 

 注:本書では、障害の診断は下りないまでも、能力に凸凹があり、社会生活に生きづらさを感じている人を「発達障害グレーゾーンの人」=「グレさん」と呼ぶ

 

 (グレさんたちの多くは)会社には自分の発達障害のことを公表せずに働いている。いわゆる「クローズ就労」と呼ばれる存在だ。クローズで働いていると「なぜあの人はミスが多いのか?」「なぜあの人は少し言動が変わっているのか」と周りから思われてしまっているのではないかと不安になるという。根拠のない漠然とした不安を抱えたままヒッソリと働いている人が多いのだ。

 

 発達障害の症状はグラデーション状なので、「ここから先が発達障害でここまでが健常者」という線引きがない。だから、発達障害という診断を下すかどうかの基準が医師によって異なる場合がある。

 「なかには『大学を出ているので発達障害ではない』と、大卒ってだけで突っぱねる医師もいるんですよ」

 「発達障害ガイドラインに該当していない。あなたは発達障害と診断されることで何か利益を得ようと思っていませんか?」などと言う医師もいる。(こう言われたグレさんは傷つく)

 「結局、どんな医者に診てもらったかで、発達障害かどうかが決まっちゃうんですよ

 

 

「『発達障害=すごい人』という報道のされ方も気になることがあります」

「すごい特性より欠陥の特性のほうが目立ちやすいですよね」

「クリエイティブな仕事が向いているよと言われるけど、結局その仕事に就ける人は一握りだから、なんとか自分が苦手な場所に押し込まれないといけない

 

 

世の中にある評価軸って、『仕事ができる』という部分がめちゃめちゃ強いと思います。そこが弱いと、惨めになりがちで、発達障害傾向のある人はそうなるパターンが多い気がします。他に何か秀でている部分があっても、評価されにくい世の中なのだと思います」

仕事ができると、もうそれだけで価値があるという感じ。逆にそれがないと全く価値がない

「男だったら、勉強とスポーツと仕事ができればいいんです。この3つがあれば生きていける」

 

 診断の有無よりも、やり方を教えてもらって訓練する方が重要ですね。

 (必要とあらば)障害者手帳を取るために診断はするけれど、はっきり言ってしまえば、そんなのはどうでもいいことなんです。「困っていることがあればこうしよう」という話の方が重要で。診断と困りごとの解消法、その両方を教えてくれる人が必要です。詳しくない医師たちは発達障害の人を診ても「しばらく様子を見ましょう」と言うしかない。

 

発達障害というスティグマ-私の話

 就職は発達障害のあぶり出し、という言葉があるが、まさに私の新卒時代がそうだった。国立大学の院まで出たはいいが、就職してみたらあまりに仕事ができない。また当時、実家が修羅場だったこともあって悩み、眠れない・食べられないのコンボに陥った。藁をもすがる気持ちで精神科へ行くと、初診で3時間ほどかかる知能検査(WAIS-Ⅲ)を受検させられた。ほとんど夜眠れていなかったので、3時間もの検査は大変に苦痛だった。*1薬も治療方針も打ち出されないまま、一ヶ月後に検査の結果を聞きに行ったら、言語性IQと動作性IQの差が50も開いている、と言われた。ちなみに群指数の何がどれくらいのスコアであったかは教えてもらえなかった。ただ、「あなたは言語性IQと動作性IQの差が著しく大きい」と言われただけである。

 その上、医者からは「ここまでIQの差が開いていると、猛烈な生きづらさを抱えて生きてきたでしょう。くれぐれも、マネジメントのような難しい仕事はしない方がいいですよ」と言われた。*2

 

 まるで、お前は人間ではない、と言われたかのような感覚に陥った。

 

 受検結果を告げた時の、医者の目を私は今でも覚えている。

 

こんなIQで一丁前に喋るんだ? 

気持ち悪い。

 

 それは忌避する目だった。

 

 恥ずかしいことに、それまでの私は、自分のことを平均より優れた人間であると思っていた。ペーパーテストは押し並べて得意だったし、リーマンショック+東日本大震災直後の就活戦線でもなんとか職にありついた。しかし、職場での不適応と、精神科で受けたWAIS-Ⅲの結果は私の自惚れを木っ端微塵に打ち砕いた。たしかに、極端に不器用だったり、車の運転が不得手だったり*3と、薄々自分はおかしいと感じてはいた。それでも、これらの苦手分野は「正常な範囲での苦手」に収まると思っていた。医者から告げられたIQの検査結果によって、自分が丸ごと異常である、と医学によって厳格に突きつけられたように感じられた。

 私はそれまで、特に「生きづらい」と感じたことなんてなかった。時間はきっちり守りたいタイプだし、コミュニケーションに難を感じたこともない。しかし、IQの差がかなり開いているという事実を医者から知らされてみると、自分にはひどい欠陥があり、きわめて劣った存在であるように感じられた。

 精神科から帰る道すがら、身も世もない恥ずかしさと恐怖に襲われた。道ゆく正常な人々の中で、自分だけが異形。それは、とてつもない孤独だった。

 

期待に応えたいのよ

 だが、以下にIQが他人と比べて劣っていようと、人生は続く。

 その後も、仕事では大小様々なミスを繰り返した。障害を修正するどころか新たに障害を埋め込んでしまい、大爆発したことも何度かある。*4

 かと思えば、業務中に書いた論文で賞を取ったり、社長を面前にしたプレゼンで褒められたこともあった。私の職場・職種ではコンスタントにミスなく仕事が出来さえすれば良いのであって、スタンドプレーは必要ない。全体的に仕事ができないならば無能なだけなのに、部分的に評価できる部分があるから無視できない。私は完全に会社のお荷物だった。

 

  また、上司をはじめとして周囲の人々が実に良い人たちだったのが殊更辛かった。彼らは、何度教えられてもケアレスミスを繰り返す無能な私を見捨てることなく、根気強く仕事を教えてくれた。その優しさが、更に苦しみを増した。

 

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鬼滅の刃」4巻より。師匠の期待に応えたいのに、結果が出ないのは辛い

「俺、じいちゃんが好きだよ!!」

「じいちゃんの期待に応えたいんだよ俺だって!!」

「でも無理なんだ!!」

申し訳ないと思ってるよこんな俺でさ!!

「じいちゃんに隠れて修行もしてるんだよ、全然寝てないの俺!!」

なのに全然結果が出ないわけ!!どういうこと!?もう一体どういうこと!?

  

 私は職場の人々が好きだった。尊敬していた。優しく教えてもらえるからには、期待に応えたかった。だから努力をした。しかし、いくら頑張ってもミスは無くならず、自分からも他人からも失望されるばかりだった。頑張っても頑張っても結果が出ない。まさに修行中の善逸状態である。*5

 

 人に良くしてもらったら報いたいと考えるのは当然のこと。しかし、自分は良くしてくれた人への恩に報いるどころか、裏切っている。そんな自分が本当に嫌いだった。

 

環境の変化で障害が気にならなくなる

 その後、夫の転勤に伴って退職。職業訓練を経て転職し、現在に至る。現在の職場は自分に合っているようで、働いていて辛いと思ったことは一度もない。不注意でミスの多い、自分の特性は何ら変わっていないにも関わらず、それらは今の職場で仕事ができない要因にはならないのだ。こればかりは、職場というよりは職種に「水が合っている」としか言いようがない。

 

 しかし、誰もが運良く自分に合った職種に転職できるわけではないと思う。どこに行こうと、自分の特性は付いて回る。好きで持っているわけではない特性と、うまく付き合うにはどうすれば良いのか。

 

 本書「発達障害グレーゾーン」の第六章には、グレさんたちが働く上で得た、血の通ったライフハックが書かれている。もし、自分にどうしてもできない仕事があって悩んでいる人は、第六章を是非読んでみてほしい。きっと力をもらえると思う。以下に、これは!と感じた部分を引用する。

 

(マルチタスク発達障害の人にとって大変だと聞くが。。。)

 ただ、それも考えようで、システム化されているので実はやりやすいはずなんです。実際にはマルチタスクとは、シングルタスクを素早く切り替えているだけ。マルチタスクはシングルタスクに置き換えることができます。

 

 例えば、自閉症の子供に料理を教えるとき、カレー・サラダ・デザートを作るとして。カレーはこう、サラダはこう、デザートはこう、という教え方ではダメなんです。

カレーの人参を切って、カレーのじゃがいもを切って、カレーの肉を切って、サラダのレタスをちぎって、デザートの用意をして......というふうにタスクを一直線に並べてあげるんです。そうやってシングルラインにするとできるようになります。

 

 優先順位をつける練習も必要です。段取りが苦手な人は「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と、スケジュールを盛り過ぎる傾向にあります。だから、ToDoリストには5つまでしか書かないと決めます。そうでないといくらでも書いちゃうから。この5つの中で優先順位をつける練習をする。

 

  特に、「マルチタスクをシングルタスクに分解する」「優先順位をつけるためのトレーニング」は役に立った。これらのやり方は、自身にも発達障害傾向がある医師が提案している。自閉症児の研究から得た知見など、科学的な裏付けがあるので信頼できる内容である。

 

それでも働きつづける

 「顔は出さないので集合写真を撮らせてくれませんか?『写ってもいい』という方は残ってください」と声をかけると、ほとんどの人が撮影を嫌がってカメラに写らない位置に逃げるように移動した。シルエットのみの撮影でも警戒するほど、自分に発達障害傾向があることを隠したい人が多いのだ

 精神科での散々な経験*6は、私にとって呪いとなった。その後もミスをする度に、「お前には生まれつきの障害があるんだ、何をやっても駄目なんだ」と深層意識がささやく。

 

 障害とは結局のところ、害であり障りにすぎない。自分に障害があることなど、恥ずかしくて恥ずかしくて、職場はおろか、家族であろうと絶対に知られたくはない。けれども、自分に発達障害傾向があるとして、それを隠して働いていくのであれば、発達障害傾向があることをミスの言い訳にはできないのだ。発達障害を、うんざりする人生の言い訳にはしたくない。

 

 発達障害を自分のアイデンティティにしなくてよかった。傷だらけになりながらも働き続けたから、世の中と関わり続けたからこそ、新たな自分に出会えた

 生きること、働くことを諦めないで、のうのうと、ぬけぬけと生きていこうと思う。

 

*1:初診料と知能検査、合わせて3万円くらいかかった

*2:ちなみに、この精神科医はシンプルに勉強不足だったのでは?と今では思う。IQに開きがあるだけでは発達障害の診断はできない。また、IQの差だけ告知して何のフォローもしないのはおかしい

*3:学生時代は田舎に住んでいたので、車の運転ができないことは文字通り人権がなかった

*4:システム屋の方ならわかりますよねこのいたたまれなさ

*5:善逸は6つある雷の型のうち、一つしか使えない。そのため、自己評価が非常に低い。実は鍛え抜いた技で一撃必殺の強さを誇るものの、本人には自覚がない

*6:ある意味、この経験が精神科との決別となった