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仕事は薬? 斎藤環「『社会的うつ病』の治し方」を読む

 

 

 

軽症なのに、なかなか治らない。怠けるつもりはないのに、どうしても動けない。服薬と休養だけでは回復しない「新しいタイプ」のうつ病にどう向き合うべきか?精神科臨床医が、具体的で詳細な対応法のすべてを解説する。「自己愛」が発達する過程に注目し、これまで見落とされがちだった<人間関係>と<活動>の積極的効用を説く、まったく新しい治療論。

 

 この本の白眉は、四章「人薬」はなぜ効くのか?にある。以下に、心に響いた文章を抜粋していく。

 

 コフートは、自己愛を人間にとって必須のものと考えました。そして、人間の一生を自己愛の成熟の過程として捉えました。そもそも精神分析では、他者への愛もその起源には自己愛があると考えます。この考え方に基づくなら、「自己中」や「わがまま」は必ずしも自己愛ゆえに問題、とは言えません。むしろ自己愛の表現におけるバランスが悪いのだ、という問題になるでしょう。

 

 ひきこもりの事例などで、家族以外の対人関係を長期間にわたり持てずにいることが問題となるのは(中略)、自己愛の発達が止まってしまったり、いったんは十分に発達した自己愛が退行してしまったりします。

 

 他人と接することが大切なのは、相手から様々な機能や技術を吸収できるからです。そうすることで、自己の構造はより複雑で洗練されたものとなり、いっそう安定した状態に至ることになるでしょう。

 

 自己愛の成長のみならず、傷ついた自己愛の修復において他者との関係の再建が重要な意味を持つということです。端的に言えば、家族以外の対人関係や、時には勉強や仕事といった活動ですら、自己愛の修復において少なからず意味を持つということです。

 

 誰とも会わずにひきこもり続けていると、家族以外の人間関係は自ずから疎遠になっていきます。(中略)ひきこもり状態はその人の自信を衰弱させてしまいます。単に自信がなくなるだけではありません。「プライドは高いが自信がない」という状態に陥るのです。

 

 プライドが高いので他人からの助けをあてにできない。しかし自信もないので自ら一歩踏み出すことも難しい。こうして前進も後退もままならない状態のまま、いたずらにひきこもり期間が長期化していく。。。

 

 この本には、学校や会社を辞めてひきこもることで、人間がどうなっていくのかが精密に言語化されている。この本によって、長い間何となく違和感を感じていた事柄を言葉で理解することができた。

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「凪のお暇」1巻より。イヤな仕事を辞めてハッピーなはずが、むしろ社会からの断絶感に苛まれる

 この本(「社会的うつ病の治し方」)を読んで思い返されるのが、私の父のことである。父は新卒から30年近く勤めた会社を早期退職して以来、定職に就くことなく、日がなぶらぶらしている。イヤな上司も辛い仕事も無い人生は、意外にも全く幸せではなく、むしろ会社にいた時より不幸になっている印象を受ける。無職の期間が長引くほどに、父はストレスへの耐性が年々低くなり、性格は卑屈に、幼稚になってしまった。

 

 過去に、私は父のことを「高齢ひきこもり」と書いたが、父がひきこもりであると認識できるまで10年もの年月がかかった。私は父がひきこもり状態に陥っているなどと考えたことがなかった。何故なら、会社を辞めてからも父は規則正しい生活をして、外出も頻繁にしていたからである。いわゆるひきこもりのステレオタイプである、「昼夜逆転・不潔・部屋から出てこない」というイメージと、父の生活は全く異なっていた。しかし、「家族以外との対人関係がほとんどない」という点は、ひきこもり事例と共通していた。そして「家族以外の他者との人間関係」こそ、父にとって最も必要なものだったのだ。

 

 この本を読んで思うことは、「人間は他者との関係の中で生きており、他者との関係が無くなると壊れていく」ということだ。たとえ生育の過程において問題なく自己愛を発達させていたとしても、何らかの問題で家族以外の他者との関係が無くなってしまうと、人間は病む。ひきこもることで精神は退行し、荒廃していく。

 

 父は新卒で入社した会社で、営業職に就いていた。父はきっと、定年になるまでひとつの会社で勤め上げるつもりであったのだろう。しかし、不景気のあおりを受けて会社は50代の社員を早期退職という形でリストラした。父は「会社を支える大切な従業員」から、「年を取ってスキルアップも望めず、年功序列で高い給料を払わなければならない金食い虫」として、会社から排除された。その後、父は何度か再就職を図ったものの上手く行かず、次第に無気力になり、現在に至る。

 

 私は、父が会社を辞めて以来、日に日に幼稚になっていくのが本当に辛かった。家族の誰一人として、父が無職になったことを責めたりしなかった。とりわけ配偶者である母は、父の愚痴を常に傾聴したし、再就職の斡旋をしたこともある。家族はどんな時も父を支え続けた。しかし、それらの努力は父の心に届くことはなかった。家族がどんなに理想的な対応をしようとも、父を救えるのは所属する会社であり、他者との人間関係であったからである。

 

 いかに家族関係が円満であったとしても、他者との人間関係が無ければ人間は病む。パワハラなどのブラック職場は論外として、「適度に他人と関われて、お金がもらえる」仕事というものは、実のところ有難いものだということになる。このご時世、仕事に行かなければ家賃すら払えず、下げたくもない頭を下げて仕事をしている人も多いであろう。食っていく心配は無いけど仕事はしたい。何とも贅沢な話である。しかし、たとえ年金で食い扶持は施されても、周囲に他人がいなければ、ひとは簡単に病んでしまうのだ。

 

 このような状況に陥らないためには、どうすれば良かったのか。私としては、父は無職をこじらせる前に、何でもいいから仕事を始めるべきだったと思っている。収入にこだわらず、定期的に通う場所と適度な人間関係を得ることで、失われた自信を回復して欲しかった。父のように、対人関係において病的な疾患がある訳ではない人にとって、小さくても続けられる仕事はむしろ薬になったはずだ。

 

 私はずっと、働いていようがいまいが、父は父だからそれで良い、と考えていた。しかし、父にとって必要なのは献身的な妻でも子でもなく、他人だった。父が病んだのは企業の排泄行為の結果であり、家族は最初から最後まで無力だったという事実に、打ちのめされるばかりである。