何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

父への処方せん

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 わたしの父は高齢ひきこもりである。元は大企業のサラリーマンだったが、50歳に差し掛かる頃に早期退職をしてからは、15年ほど無職のまま引きこもっている。

 退職してのちの父は、「大企業のエリートサラリーマン」だった過去を捨てられず、無職という身分を受け入れることができなかった。もともと遵法意識(?)の強い性格であったために、「働いていない自分」に過剰な罪悪感を抱いてしまい、身動きが取れなくなってしまったのだ。与えられる役割も、意見のバランスを取る会社も存在しないので、自己効力感を全く感じられない。社会に自分が存在する意味を父は見失ってしまった。その結果、父の人生はどんどんねじれていった。

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 父とのコミュニケーションで辟易するのは、攻撃性の高さである。いわゆる自己肯定感の低い人間にありがちな感覚、すなわち「自分には価値がないと思っており、同時にその状態を辛く感じている。結果、周囲の人間が自分よりもはるかに幸せで恵まれているように見えてしまい、攻撃せずにはいられない」のだ。

 ちょっとした言葉尻を捉えて、激昂する。例えば、父はパソコンでわからないことがあると子供の私へ質問をしてくるのだが、この時点で「自分がへりくだって他者へ接しなければならない屈辱」を感じているらしい。パソコンについて、わたしが「もっと良い方法があるから、こうしたらどうか」などと言おうものなら、「お前は俺にそんな難しいことをさせるのか!」「俺は年寄りなんだ、今更新しいことなんか覚えられないんだ」と激怒する。

 余談になるが、自己肯定感が低い(=自信がない)人の最大の問題点は、その攻撃性の高さにあると思う。主観的には、自傷行為に走ったりして自分だけが苦しんでいるつもりなのだろうが。自分を大事にできない人間は、他人はもっと大事にできない。本人以上に、周囲は病んでいくものなのだ。

 

 無意味に怒鳴られるのは辛い。だから、わたしは父とは極力関わり合いになりたくないと思っている。しかし、父はそれでは寂しい(?)らしく、数ヶ月に一度は「パソコンの知識を乞う」という名目でコミュニケーションの機会を図ってくる。正直に言って、とてもしんどい。

 

 ただ、水島広子先生の「怒りがスーッと消える本」を読んでから、少しこの感覚が変わった。 

 

 

 

 ちなみに私は水島先生の大ファンで、20代前半のメンヘラ時代(笑)に先生の本に出会い、大いに人生を救われたと思っている。先生のサインも持ってる。いいだろー

 

 「怒っている人・攻撃してくる人は困っている」、というのが多くの患者を診てきた水島先生の見解である。詳しくは本を読んで頂きたいが、今まで理不尽に攻撃してくる(ように見える)人が、実はその人なりの事情の中で困っており、困るからこそ攻撃してくる、という考え方はわたしにコペルニクス的転回を与えたのであった。

 

 思い返せば、わたしの父はとにかく怒りっぽい人間だった。娘にダイエットを命令し、歯列矯正を押し付け、受験勉強を強いた。受験に合格すれば部活から交友関係にまで口を出しまくった。口答えひとつしようものなら怒鳴り上げられた。手も普通に出た。明らかに理不尽な理由で怒鳴られることもあったが、若い頃のわたしは「全て自分が悪いのだ」と思っていた。最高の成績を納め、ピアノと芸術方面に聡く、運動もできる娘。それが父の理想の娘像だった。現実のわたしはまるで違った。

 理想の娘じゃなくてごめんなさい。東大に行けなくてごめんなさい。女に生まれてごめんなさい。いじましすぎる自虐が、わたしの青春を真っ黒に塗りつぶしていた。

 

 その後、わたしは成長した。この歳になって父の事情を鑑みるに、父は全く自分に自信がなかったのだと思う。

 父は高度成長期の終わり、不景気になりはじめた頃に就活をした。不思議な巡り合わせで、地方大学出身の父には、不相応な大企業に就職が決まった。父は、生まれから育ちまでほんもののエリートたちの中で働くこととなった。日々見せつけられる育ちの差。学歴が高くないので、学閥にも入れない。父はずっと、自分のことを運良く入社しただけの、偽物だと思っていたのではないだろうか。それが、ひとり娘への大きな期待に繋がった。実際は、不安を押し付けていただけだったのだが。

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 さて、父と交流するにあたり、わたしは以下のルールを定めた。

 

  1. 自分から話題を振らない
  2. 笑顔を貫く(真顔でいたらプレッシャーを感じられたらしく、物を投げつけられたことがあったので)
  3. 可能な限り早く退出する
  4. 父とは情緒的な交流ができない、と知る

 

 前述した通り、父はひきこもりで精神を病んでいる。こちらにとっては何でもない話題が、脅威に感じられることもあるらしい。今まで、地雷を踏んできたのはだいたいわたしの方から父に話題を振った時だったので、できる限り自分からは答弁せず、相手の質問にのみ答えるスタイルとする。

 また、表情も重要だ。病んだ人間は、世界を被害者意識のメガネで見ている。こちらは敵ではない、とアピールしておいて損はしないだろう。

 時間を区切って、早めに離れるのも大切である。同じく水島先生の著書↓からアイデアを拝借した。

 

「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書)
 

  上記の本では、「ウルトラマンのカラータイマー」に喩えて、親と同じ空間にいても良い時間を設定することを勧めている。

 

 ウルトラマンはどれほど地球で果敢に闘う力があっても、一定時間が経過するとエネルギー不足になって宇宙に帰らなければならなくなるのです。それを知らせるのが「カラータイマー」です。(中略)

 私の今までの体験からは、問題を抱えた親が子どもを傷つけずに過ごせる時間は、せいぜい「48時間くらい」かなと思っています。科学的根拠があるわけではありませんが、人が意識して自分の行動を制御できるのは、その程度かなと考えるからです。(中略)

 なお、この「48時間くらい」は、トレーニングによって伸ばしていくことが期待できない数字だと思っておいた方が良いでしょう。

 

 父に対して如何に対策を講じたところで、限界はあるのだ。

 

 最後に、父とはもはや情緒的な交流ができない、と知ること。人を思いやる父はもういないのだ。子供の立場としては、どうしても親には愛されたいと思ってしまうし、全面的に甘えられる関係が欲しくなるが、現実には叶わないのである。

 ここまで書いて思ったが、これはおよそ人間同士の対等な付き合いとは言えない。「カスタマー・サティスファクション」みたいなものだ。ただニコニコして相手に良いように嬲られるのではない。一線を引き、得られる程度の利益は得る。そして、それを悟られないよう気を配る。これが大人のやり方、というものなのかもしれない。この歳になってようやく、親との損をしない交流の仕方がわかり始めたように思う。