何たる迷惑であることか!

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近況

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 先日、ふと思い立って図書館で本を借りた。「お母さん、ノーベル賞をもらう」という本で、表題の通りノーベル賞を受賞するような、科学に対して多大な貢献をした女性たちの生涯を伝記にしたものである。内容は、文体が翻訳調で少し読みづらい部分があるのと、当時の科学常識が今ではだいぶ覆されているため、現代とはずれている部分がある。それを含めても、読んで面白い本である。

 この本を借りるのは二回目である。最初に読んだのは中学生の頃だった。当時、本を読んだときの印象は、「エキサイティングな科学の話」だった。

 

お母さん、ノーベル賞をもらう―科学を愛した14人の素敵な生き方

お母さん、ノーベル賞をもらう―科学を愛した14人の素敵な生き方

 

 

 

 さて、改めて読んでみると、伝記に出てくる科学の発展にまつわるエピソード以上に、社会から邪魔ばかりされる彼女たちの生涯に驚いた。そもそも大学に行かせてもらえないのは当たり前。人によっては高校にも行けない。いかに科学の才能があっても女であるというだけで学問の道は閉ざされ、遠ざけられる。だから、この本に出てくるだいたいの人物は、当時の同階級の男性に比べて5年から10年は遅れて大学へ入学している。優秀な成績を収めたところで無視され、婚期が遅れることを嗤われ、研究員としての職も与えてもらえないことがほとんどだ。よくめげずに研究を続けられたものだと思う。本にもあるが、彼女らの多くはユダヤ系であり、学者の家系に生まれた家風があったり、また理解ある配偶者を持っていたり、環境に恵まれている部分はある。だが、それ以上に社会からの圧力は凄まじい。

 

 この本の初版は1996年で、その頃通っていた図書館で新書扱いになっていた本を借りた記憶がある。今は昔の前世紀末、約20年前だ。20年経っても、あまりに社会も日本も変わってないんだな。と少し愕然とした。

 

 自分は現代日本に生きる平凡な女性で、就学や就労について特に男女差別を感じたことはない、と思ってきた。しかし、思い返せば

 

「女子はコツコツ勉強するから今は成績がいいけど、男子は集中力がすごいからいずれ抜かされる(結局高校卒業まで抜かされなかった)」、

「3次面接まで通ってお疲れ様です。でも、うちの会社男の子しか欲しくないんだよねー(じゃあもっと早く書類審査で跳ねてくれよ)」、

「プレゼン賞もレポート大賞も受賞が女ってどういうことなの(こっちが聞きたい)」

 

など。

 

 かなりあからさまに女であることで差別を受けてきたし、それを内面化して無意識に男性を崇めていた自分にも気づかされた。男の方が圧倒的に優れてるんじゃねーのかよ。つまり、男であろうが女であろうが、努力を重ねて結果を手にした人が居た、というそれだけのことだったのである。それを、私は「成果を出しているのは男性の方が多いのだから、男性の方が女性より優れている」と誤解していたのだ。

 

 わりとうんざりする結果だが、まずは自分の中にれっきとした差別意識があったという事実を見つめないことには先にも進めない。

 とりあえず、自分の子供らには男女差別という強力かつくだらない遺産をできる限り無くしていきたいな、と思っている。