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【書評】松本俊彦「薬物依存症」を読む

 

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 

 

 私が精神科医の松本俊彦氏を知ったのは、偶然、下記の記事を読んだことがきっかけだった。

www.buzzfeed.com

 「自傷摂食障害アルコール依存症も薬物依存症も、根っこの部分は同じ

 

 記事内の言葉に、大きく共感するところがあった。何せ、自分は摂食障害とは10年近い付き合いで、輝かしい時代であるはずの20代前半を病に塗りつぶされしまっていたのだから。その後も病気は良くなったり悪くなったり。消えたと思えばばっちり染み付いており、生活を脅かすほどではないものの無視できるほど小さくなってもいない。人生順風な時は気にならなくても、辛い時期に差し掛かると先駆けて顔を出す、忌まわしい弱点。憎らしいが、人生のある側面に病はずっと存在している。それが私にとっての摂食障害である。

 

 摂食障害自傷行為の一種だとは自分の理解の及ぶところだったが、アルコール依存症、ひいては薬物依存症と繋がっているとは考えたことがなかったため、この記事には大きく興味を惹かれた。記事を読んで、記事だけでなく語る松本先生にも興味を持ったのだった。

 

 さて、そんな松本先生の新刊「薬物依存症」。タイトルの通り、本書は覚せい剤依存症を主軸に、薬物依存症とそれを取り巻く有様について網羅的に書かれている。

 

 薬物依存症は、覚せい剤大麻などのマテリアルを所持すること自体が日本では犯罪となっているため、薬物を見たこともなければ、依存症に陥って苦しんでいる人も一般人にとってほぼ無いだろう。そんな社会の中で、薬物に手を出せる人間は少ない。とどのつまり、「ヤク中」と言えばどうしようもない快楽主義者であり、人生を自ら破壊する唾棄すべき存在、というわけだ。

 

 しかし、それらのイメージは全て誤解である、とこの本では明確に述べている。

 

  • 薬物を使用しても、全員が依存症になるわけではない。多くの人は、すぐに薬物を辞めてしまい、後遺症に苦しむこともない。
  • 薬物依存症に陥っても、回復することができる

 

 「ダメ、ゼッタイ」のコピーで知られる覚せい剤は、「一度でも使用してしまったら、脳が破壊されて人生おしまい」のような印象を持たれがちだが、実のところは使用しても依存しない人がいるということ。また、依存症に陥っても回復し、今では立派に社会へ貢献している人も多くいる。薬物依存症は難しい病気ではあるが、回復できる病気でもあるのだ。(つまり、「ダメ、ゼッタイ」がもたらす破滅的なイメージは間違っている)

 

 私はこう考えています。人間の薬物依存症は(中略)「負の強化」によって作られるのではないか、と。この「負の強化」とは、薬物を摂取することで、それまでずっと続いていた「痛み」「悩み」「苦しみ」といった苦痛が一時的に消えるという体験をし、そうした苦痛が消える体験が報酬となり、その報酬を求めて繰り返し約鬱を摂取する、という現象を意味します。

 もしも薬物がもたらす報酬が苦痛の緩和=「負の強化」であったとしたら、飽きるのはかなり困難なのではないでしょうか。飽きるどころか、そのような薬物は、その人が生きる上で必要不可欠なものとなるのではないでしょうか。

 

 

 この本の白眉は、「薬物(またはアルコール、過食、自傷)を使用する人は、人生の絶え間ない痛みを紛らわすために薬物を使っている」を書いてくれたことである。

 

 先にも書いたが、薬物乱用は犯罪であるし、アルコールに溺れる人間は忌避される。食事を通して皆の輪に入れない者は仲間はずれになり、腕が傷だらけの者は恐れられ、遠ざけられる。なぜかと言えば、これらの依存行為は周囲から見れば実に迷惑で、不可解な行動に過ぎないからである

 

 耐えられない心の苦痛を、一時的にでも緩和するために、多くの場合一人ぼっちでその行為は行われる。苦痛とは何か。それはネガティブな感情、とりわけ怒りである。なぜ怒りを表明できないのか?それは、怒りが悪い感情だと断じているからである怒りを覚えた対象が親であったり、恋人や配偶者だったり世話になった人だったりして、怒りを表現してはいけないと思っているからである。だから、怒りの感情に蓋をして、あたかも怒りなど感じていないように振舞う。しかし、抑圧された感情は消えることはない。消えない感情を抱えたまま過ごすことは苦痛であり、痛みからは逃れたいと思う。これは生物として自然な成り行きである。

 

 なぜ苦痛を表明することができないのか?それは、人を信用できないからである。子供の頃から親に罵られ続け、学校では先生に裏切られた人間にとって、人は信じたり頼ったりする存在ではなくなっている。とはいえ、苦痛は苦痛なので何かで表現しなければならない。それが薬物の乱用行為であったり、アルコール飲料を飲み干すことだったり、ジャンクフードを詰め込むことだったり、肌をカッターで切ることの意義だったりする。でも、それは誰にも理解されない。周囲の人間はおろか、治療者にすら依存症は忌避されたりする。

 

 では、不幸にも依存症により人生が障害されてしまった場合はどうすればいいのか。安心して「薬物をやりたい」「でも、本当は辞めたい」と言える場所があればいいのではないか。それが自助グループである。ダルクなどの自助グループは、「つながる」ことで薬物依存症からの回復を図る場であり、実際に効果を挙げている。

 

 今日、欧米の先進国ではアディクション(Addiction:依存症、あるいは、酒や薬物に溺れた状態)とは「孤立の病」であり、その対義語は、もはやソーバー(Sober:しらふの状態)やクリーン(Clean:薬物を使っていない状態)ではなく、コネクション(Connection:人とのつながりのある状態)であるという認識が広まりつつあります。

 

 本書では、つながりを回復する一助として「SMARPP(スマープ)」という治療プログラムを提供している。プログラムの内容は、薬物依存症の教育と効果が出た治療法の集合体という感じだが、このステップを踏むことで、薬物依存症の自助グループへつながりやすくする。そして、薬物などの依存行為を経たとしても何とか生き延び、リアルな人間関係の中で自分の人生を開いていく。安心して人に依存できるようになることで、薬物に頼らなくてもよい人生を手にする。「つながり」には人生を癒す力があるのだ。

 

 人間はつながりによって回復できる。薬物依存というパンドラの箱を開けたら、災厄の底に希望が灯っていた。そんな気持ちにさせてくれる一冊である。