何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

三十歳の所感

 先日、30回目の誕生日を迎え、無事30歳になった。

 特に思うことはない。理由は、年々自分の年齢に対して興味がなくなるから、という時間による減衰だけではなく、「30歳になるまでに自分が達成したい」と勝手に自分に課していた物事を、どういう形であれ達成したことにあるのだろう。

 

 大学を卒業する直前だから、22歳のころだろうか。その頃の私は、大学院に行くという進路だけは決まっていたものの、自由になる金がほとんどなく、卒論に追われて友人に会う時間もなく、ついでに恋人の一人もいなかったので、ありきたりに人生に絶望していた。研究室の人間関係は全然うまくいかないし、その頃の指導教員は完全にハズレだし、病気で容姿が思い切り損なわれるしで、(たぶん)人生で一番キラキラしているであろう時期に輝きどころか闇しか見出せなかった。

 その上親は介護地獄にはまっていて、家庭崩壊寸前。なお、その後無事に私の家庭は崩壊した。家庭崩壊は、崩壊した後よりも崩壊する前のほうが辛いのだ。だって崩壊していく過程にいちいち希望を持ってしまうから。まあそんなことはどうでもいい。つまり、22歳の私は無い無い尽くしの人生で、自分のこれからに希望など何も持てなかった。空気と同様に、当たり前にあると思っていた地面が、実のところぐずぐずのぬかるみだった、という事実は生きていく自信を失わせるには十分な出来事だった。

 

 自信がない人間は、何かに縋らなければ自分の輪郭を維持できない。縋る先は、社会からインストールされた偏見に依るものとなる。例えば、学歴。例えば、就職。例えば、結婚、そして出産。私はそれら全てに手を伸ばした。それらを手に入れれば、自分はようやく社会に認められると思った。だって学校も人間関係も、社会は私を無視してばかりだったから。

 

 その後、いろいろと振り切れて卒業旅行に行ったら成り行きで恋人ができた。大学院で自分には研究者の資質が何もないことに絶望し、就職氷河期にひと山いくらでIT企業で買われた。就職して1日で、自分はこの仕事に向いていないことを直感した。同じ頃、完全に自分の家庭が崩壊した。親から逃げたくて、勢いで結婚した。自分だけが婚姻届を取りに行き、頑張って役所へ届けに行った。相手はずっと釈然としない顔をしていた。どれもこれも実に惨めだった。仕事には少し慣れて楽しくもなったが、一つの成功の前に百の失敗があった。ごめんなさいもすみませんも言うたびに消耗していった。結婚はどうでも出産だけできればいい、なんて思っていた。猛烈に子供を生むことに執着していた。願えば願うほど、妊娠は遠ざかった。結婚はしたけれど、誰にも信じてもらえなかった。就職しても結婚しても、どこにも寄る辺がなかった。

 

 運命が変わり始めたのは20代も終わりに近づいてからである。夫が転勤することになって、自分も仕事を辞めることにした。今まで育ててもらったのにすみません、と全方位に謝りながら、心の一部では天啓だと思っていた。それは当たった。私は職業訓練を経て同じ業種でも違う職に就くことができ、ゆるく就職した。生まれて初めて、自分が職場にいても良いと思えた。自分が向いていないのは社会でも仕事でもなく、職種の向き不向きがあるだけだったのだ。

 

 仕事が楽しくて、毎日歌うように過ごしていたら妊娠した。二十代半ばから不妊治療を意識して(地味に屈辱だった)、妊娠以外で人生が回り始めたら途端に子供ができる、というのは皮肉なものだ。妊娠したら、出産したらついに強迫観念から逃れられると思った。果たして、強迫観念は無くなったが、脅す力が無くなった心に空いていたのは大きな穴だった。なんのことはない、私の心にはもともと大きな穴が空いていて、その中には虚無があるだけだった。二十代で必死に掴もうとした学歴も就職も結婚も妊娠も、虚無から逃れるために生み出した幻に過ぎなかったのだ。

 

 30歳になった私は、なんの感慨もない人生を過ごしている。自分には何もない、と泣いた日。タイムリミットが迫っている、と焦燥に焼かれた日。全て勘違いだった。今も昔も、私にはかけがえのない人生がある。ただ、それだけなのだ。これが三十歳の所感。