恋愛免許
NHK Eテレの人形劇とワイドショーが悪魔合体した番組、「ねほりんぱほりん」をほぼ毎週見ている。題材は「プロ彼女」「養子」から「元薬物中毒者」まで、毎回格調高く人間愛と濃厚な悪意を奏でる、見ごたえのある番組である。
前回の放送で、「ナンパ教室に通う男」を特集していた。
ナンパ教室に通う男なんて、どーせ恋愛工学ウンヌンでてきとーな女捕まえて食ってポイの人間の屑みてーな奴の話だろーと偏見に満ち満ちて視聴したのだが、実情は全く違った。
番組の内容
今回のゲストはナンパ教室に通って10年以上のタカノリ氏(仮名)。派手なカツラを着け、革ジャンを着こなす姿はそろそろ五十路とは思えない。しかし、全般的に落ち着きがなく、画面に映るぬいぐるみの挙動が明らかにおかしい。(この辺り、人形劇での再現性は本当に凄い)会話していても体が小刻みに揺れ、「フッ」「フハッ」と呼吸音が頻繁に発語に交じる。「軟派」でちゃらちゃらした、というよりはコミュニケーションの取り方に問題がある様子に思えた。
番組の前半はいわゆるナンパテクニック(マニュアル化されている!)の話と、ナンパによってどれだけの成果を挙げられたか、という話。
【タカノリ】ナンパ教室で本当に人生変わりましたね。大体100人以上はお持ち帰りしています(笑)
【YOU】 腹がたつわ~
【YOU】 もうマジ無理なんだけど。
半ば押し売りのようなやり方でターゲットの懐に入り、あわよくばお持ち帰りする。大体は一夜で終わり。稀に交際へ発展することがあっても、長続きしない。
【YOU】 だけどさ、そっから先に行けてないわけでしょ?人として愛されたくなったりしないの?
後半は、何故ナンパ教室に通ったのか、そこまでしてナンパに固執する理由は何か、という話。
【タカノリ】(ナンパ教室に通い)始めたの、僕36歳のときで。
それまで実は1回も女性と交際したことがなかったんです。
女性との交際方法がわからず、懊悩していたタカノリ氏。そんな彼が、直属の部下に恋をしてしまう。
【タカノリ】一生懸命好きだとアピールしたことがあって、直属の部下なんですよ。
この恋愛が僕の人生を大きく変えたっていうか。
好きで好きでしようがないから、ていうかメールを、
ろくに話してもいないのにメールばっか送るわけですよね。キモいじゃないですか、今、考えてみたら。
「すべてはモテるためである」という本に、「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いからだ」という言葉があったが、まさにその通りの現象が起こっている。条件云々を別にして、恋する相手に向かう態度がひたすらに気持ち悪いのだ。
タカノリ氏は職権を乱用し、強引に自分とのデートを約束させる(完全にパワハラ)。そして……
【タカノリ】 で、もう調子乗ってガンガンメール送ったんですよ。
「これからもずっと一緒にいたい」とか何とかっていう気持ち悪いメールをどんどん送っちゃって。
で、最終的にもう返事がなくなっちゃったんです。
恋愛感情を暴走させた挙句、自分でも知らなかった凶暴な本性が現れてしまう。
【タカノリ】 最終的に僕はキレて・・・「お前を辞めさせてやる!」って。
【YOU】 一番ヤバイね。えっそれでそれ訴えられたりはしなかった?
【タカノリ】 訴えられました。
タカノリ氏のパワハラは社内で問題となり、タカノリ氏は部署を異動することとなる。被害を受けた子はどれほど怖い思いをしたことだろう。。。
この一件により、タカノリ氏は自分が全く恋愛のコミュニケーションを知らなかったことを思い知る。
【タカノリ】 結局どうやって恋愛したらいいのか分からないままこうなっちゃったわけですよ。
だからやっぱり、学校ではやっぱり恋愛コミュニケーションという科目をつくってほしいと切に願いましたね。国語・算数・理科・社会・恋愛コミュニケーション。
これは絶対教えなきゃダメだって、自然に身につくものじゃないって僕は思ったんですよ。
恋愛に憧れるものの、いざ素の自分が出ると相手に危害を及ぼしてしまう。しかしながら、モテたい。ナンパ教室に通い始め、ナンパテクニックを身に着けた=マニュアル化された仮面を被ることができるようになったタカノリ氏は、仮面が使える範囲で女性とお付き合いをしている。ナンパしたい男が居れば、ナンパされたい女も居る。そのあたりの見極めが出来れば、誰も不幸にならない。一人の相手との結婚は望めなくても、タカノリ氏はそれなりに幸せであるようだ。
【YOU】 これはちょっと山里、今日はキてるな。
【山里】 教室に通ってる目的が、ちょっと僕らが思った更に上を行ってましたね。
恋愛する資格
例えば、車を運転するには運転免許が要る。最初から車を運転できる人はほとんど居ないだろう。所定の学校に通い、実技と知識の両面を備えた上で、試験を受けて初めて車を公道で運転する資格を得られるわけだ。とはいえ、車の運転には向き不向きがある。生まれつき空間認識能力が高く、どんな道でもすいすい走れる人もいれば、非常な努力をして何とか公道を走れるひとも居る。 運転の上手い下手はかなりの部分が才能に因っている。(もちろん運転に不向きでも安全運転を心がければ素晴らしいドライバーだし、運転の才能に恵まれていても危険な運転をすれば欠陥ドライバーである)
そして、障害や疾患など様々な理由により、どれだけ本人が望んでも、運転する資格を得られない人も居る。運転が得意なのも苦手なのも、運転してはいけないのも、多くの場合本人の責任ではない。
恋愛も、同じことが言えるのではないだろうか。相手の条件にかかわらず、人と人が一対一のコミュニケーションを取ることは、非常に高度な技術である。とりわけ、恋愛を長続きさせるには、知識と経験、そして生来の才能が必要となる。これは、恋愛をしたいと思っている人の人生にとって非常に重要な事項であるにも関わらず、誰も教えてくれない。
実のところ、コミュニケーションが苦手な人は多いように思う。原因は様々で、知識を得て改善する場合もあれば、脳の構造などどうしても改善できない場合もある。前述のタカノリ氏のように、テクニックを用いての上辺だけの付き合いならできても、素の自分を晒すと凶暴な人格が現れてしまい、深いコミュニケーションが取れない、という人もいるだろう。そういう人は、とどのつまり恋愛の才能がないのである。才能がないのは、個人の責任ではない。自分には恋愛の才能が無いことを理解して、他人を傷つけないレベルで自分の欲求を叶えるというやり方は、自分と世間の、非常に良い折り合いの付け方であると思う。
誰しも恋愛ができて結婚ができるわけではないし、したいわけでもないのだから、それらをしない・できない人を批判することはあまりにも暴力的である、と思った。恋愛の才能、結婚の才能がある人も居れば、ない人も居る。大切なのは、自分に合った生き方を、自分の意志で選択できることだろう。