【感想】「怒り」【ネタバレ有り】
【あらすじ】
八王子で発生した夫婦惨殺事件から一年。残忍な殺人事件の犯人は、顔を変えて逃げ続けていた。
時を同じくして、三つの場所に素性のわからない男が現れる。
---千葉。 父親と二人暮らしの愛子は、最近やってきたという無口な青年と知り合う。
---東京。 サラリーマンの優馬は、住所不定の男を家に住まわせる。
---沖縄。 波瑠間に引っ越してきた女子高生・泉は、無人島で暮らす男を発見する。
この三人の中に、殺人犯が一人いる。
愛した人は、殺人犯なのか?
人を信じるとは?
以下、映画及び小説のネタバレ有りの感想。
【感想】
主に沖縄編について感想を書く。(千葉東京編にも感ずることは多くあったのだけど、熱量が大きすぎて論旨が散らかるため)
全体を通して、とにかく、役者たちの演技力が凄まじかった。
千葉編。
港町で父親と暮らす愛子(宮崎あおい)は、損得を考えることが苦手だが、だからこそ純粋な心を持っている。彼女と世間が何故ズレるのかについて映画では敢えて説明を省いてあったが(小説版では、愛子が要支援ぎりぎりの知能水準であることが示唆されている)、その辺りを宮崎あおいが完全に演じきっていた。年齢にそぐわない服装や、間延びした喋り方から少女を通り越した幼さを見せながら、性を消費される立場の人間の、他者には理解されない痛みを語る成熟さも匂わせる。
愛子は確かに頭が足りない。足りないがために、父・洋平(渡辺謙)の娘への愛情はより盲目的なものになる。盲愛の所以は不信であり、父親は実のところ足りない娘を信じていない。そこに現れた素性の知れない男は、いつまでも幼く、いつまでもかわいそうな娘を騙して食い物にする化け物に見えてしまう。
また愛子も、素性の知れない男・田代を純粋に愛し、しかしながら真実を教えてもらえないことに疑念を抱き、ついには自分の意思で警察に通報する。愛したが故に、信じられない。愛した男を信じ抜くことができなかったことへの、怒り。終盤での愛子の泣き声は、赤子の産声に似ていた。わたしは生きている、わたしは生きたいんだ、と叫んでいた。
東京編。
華やかに東京の光の中を生きる優馬(妻夫木聡)には、愛がわからない。同性愛者である自分と世間を折り合わせるために気持ちを押し殺し続けた結果、いつしか自分の本当の気持ちがわからなくなってしまった。誰と肌を重ねても、虚しさが募るばかり。そこに、偶然直人(綾野剛)が現れた。行きずりの関係で終わらせなかったのは、直人に惹かれるものがあったからだが、優馬は自分の本心がわからなくなっている。自分と同じ墓に入りたい、とまで思った直人との些細なすれ違いが、一つのきっかけで大きな疑念に変わってしまう。
働いていないのに金に不自由していないのは、知り合いの家から金を盗んでいるのではないか?
いつまでも自分の過去を話さないのは、犯罪を犯して逃げているからではないのか?
自分は彼に利用されているのではないか? 警察からの連絡に、優馬は必死で直人の生活の痕跡を隠す。結局のところ保身に走ったのだ。
全てが明らかになったとき、優馬はようやく過ちに気付く。直人は、まっすぐに優馬を愛していたのだ。自分は直人を信じられなかった。信じてあげられなかった。もう、直人には二度と会えない。愛した男を疑ってしまったことへの、怒り。
テレビに映る殺人犯の顔が、愛子と洋平には田代に見え、優馬には直人の顔に見えてしまう。情報は同じなのに、何故、身近な人物に犯罪者の顔が映ってしまうのか?
この作品は、言わずもがな2007年に実際に起きた殺人事件をモチーフにしている。作者の吉田修一によれば、事件そのものよりも、「自分が犯人を目撃したかもしれない」と無数の情報提供者が現れたことに興味を惹かれたという。
吉田 (中略)市橋の逃走中に目撃情報がたくさん出てきましたよね。「もしかしたら市橋を見たかもしれない」「自分の知人かもしれない」と警察に電話をしてくる人たちに、僕は興味がありました。有力な目撃証言ばかりではなかったはずです。彼らは、なぜ殺人犯と会ったかもしれないなどと思ったのだろう、どういう人生を送ってきている人々なのか、と……そこから始まったんです。
愛したひとを、殺人犯と疑わなければならない人間の人生とはどういうものか。千葉編・東京編はひとを信じ抜くにはあまりに脆く、はかなく、自信を持てない、等身大の人生を描ききったように思う。
前置きが長くなった。沖縄編である。
「なんで知らない人間をそんなすぐに信じられんの?」
「死ぬほど嫌だって気持ちって、いったいどんな気持ちなんだろって思った。(中略)
悔しいとか、情けないとか、そんな簡単なものじゃないんだよな。
俺は本気なんだって。本気で怒ってるんだって。でもさ、それを相手に伝えることってできないのかなって。
……でも、無理なんだろうね。その本気っていうのを伝えるのが一番難しいんだよ、きっと。本気って目に見えないから……」
沖縄の青い空と海は、米軍基地に蝕まれている。
母親の不始末で引っ越しを繰り返してきた泉(広瀬すず)は、苦労している分、精神的に成熟した部分と、みずみずしい少女の部分を併せ持っている。彼女はやはり素性の知れない男である田中(森山未來)に偏見を持たない。世間と上手くやれない母親を見ていたから、自由に振舞う田中に好感を持ったのかもしれない。
舞台となる離島・波瑠間は透き通った海に囲まれたのどかな島だ。強い日差しと蒸し暑い空気、大気に満ちる花の香りは、この世の楽園を思わせる。よく世話を焼いてくれる辰哉(佐久本宝)は、泉に想いを寄せているらしい。そんな二人と、行きずりの縁ながら田中は沖縄の街で酒を酌み交わす。バックボーンを知らない者同士で、人と人との間に温かな交流が生まれた、かに見えた。
映画の中盤、少女が物陰に引きずり込まれ、地面に叩きつけられ、下着を引き千切られ、まだ子供子供した躰を男たちに割り開かれるまでは。
沖縄を苦しめているのは米軍だけではない。沖縄を戦勝国に売り渡し、数々の問題を「無かったもの」としている日本政府も同罪だ。米軍による婦女暴行、その多くは犯人すら明らかにされない。加害者は裁かれず被害者ばかりが傷つく、狂ったシステム。沖縄の海と空の裏では生々しく血が流れ、開いた傷口から涙が滴り落ちている。誰も、それを顧みない。
理不尽な暴力に傷ついた泉の怒りは、本気であるがために伝わらない。
泉が暴行されている最中、近くに居ながら震えてばかりいた辰哉は、彼女を守れなかった怒りと、泉自身の怒りを引き取ることとなる。
そして、田中。
犯人が殺人に至った動機は、「炎天下に灼かれていた自分を憐れに思った被害者から、手を差し伸べらたこと」だったという。
「人を蔑むことで何とか自分を保っていたようなヤツですよ。ひとに憐れまれた、ましては優しくされた、なんて、どうにかなっちまいますよ」
仕事ぶりは優秀、不思議な魅力で人の懐に入り込む田中の異常性は、劇中で徐々に明らかになっていく。客の荷物を乱雑に扱い、しまいには民宿を滅茶滅茶に荒らして逃げ出す。辰哉に、「俺たちはあの惨劇を共有した。俺はお前の味方だ」と語った田中。暴行の瞬間を嘲笑っていた田中。裁ち切り鋏で壁に「怒」の文字を刻んでいた田中。辰哉に凶器を突きつけ、襲いかかりながら、少年を抱擁した田中。異常さの中に垣間見える過剰なまでの正義感こそが、殺意の源泉だったのだ。
終盤、犯人は少年に殺される。逃げていた事件とはまるで関係のない筋で、しかしながら共通した「怒り」によって、犯人はあっけなく死んでしまった。
ラスト、少女は無人島の海岸へ向かう。どこまでも青い海に、少女の咆哮は消えていった。
弱く・はかない人間は、踏みにじられて、怒りを表すことも叫ぶこともできず、じっとふとんの中で声を押し殺し、気づかれないよう泣き続けるしかない。世界中に埋もれている、その音のない泣き声を、よくここまで聞き取り、理解し、大きな叫びに変えて表現してくださった。揺さぶられた。-映画『怒り』
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) 2016年9月23日
小説版も併せて読んでほしい。映画ではわからない部分が小説で書かれており、小説ではあえて描かれなかった部分が、映画では表現されている。