読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

Re:Born

茫漠

 ひとりで二人分の引越し作業をするのはわりに孤独な作業だ。


  片付けても片付けても、部屋の其処此処に物が見つかる。段ボールを開けるのも閉めるのも、ぱんぱんに詰まったゴミ袋を捨てるのも、すべて自分でやらなければいけない。そして物の半分以上は私物ではなく、パートナーの物であるという緊張感。棚の奥から扱いがわからない小物がたくさん見つかり、パートナーに電話で対応を聞くが、1000km離れた相手からは現実感のない答えが返ってくるばかりだ。まあそんなものだろう。これでもお互い、物は少なく、シンプルな暮らしをしていると思い込んでいるのだ。
 
  作業の間は、もっぱらネットで聴けるラジオをかけっぱなしにしている。映像を伴わず、人の声だけが聴こえる空間は、ほどよく孤独感を麻痺させてくれるからだ。You TubeSNSTwitterも、いまや寂しさを埋めるためだけに存在する。が、視覚に訴えかけるものは逃場がない。その点、ラジオはいい。聞きたいことだけが耳に入る。
ラジオDJの話は、内容のないものであるほど良い。時事問題も環境破壊も今は聞きたくない。そうやって、絶え間なく吹き付ける隙間風からほんの少し心を暖めるのだ。
 
 むかし、というかつい4年前も、同じような状況に陥っていたことを思い出す。そこそこ志を持っていた大学院の二年め、就活はさっぱり上手く行かず、ついに就職エージェント的な人買い屋に自分を売ってしまった時期だ。
 
 実家は両親無職+介護地獄のお金が出ていくばかりでちっとも入ってこない現実をようやく認識し、気楽に研究がしたい等と考えていられる余裕が家庭のどこにも無いと気がついたころ。家族があり、恋人があり、研究室の人間関係があってもなお、わたしは恐ろしく孤独だった。
 
 漠然と、自分は何者かになれると思っていた。
しかし、今の自分は何者にもなれていない。何者でもない……
 
 そして時間はさらさら流れ、自意識を考える間もなく社会人4年目、まさかの退職を間近にしてまた同じ孤独に陥っている。
 
 一日会社を休むだけでずいぶん存在が薄くなるのは、社会人ならば誰もが知っているであろう。私の仕事は他人に取って代わられ、 塗り替えられ、一年もすれば何も残らない。私の成果、私の業績は最初から無かったものとなる。
 
 退職のためにメールを打ち、仕事を整理し、デスクの物を捨てるごと、背後に鋏の音がする。ぱちん、ぱちんと一本いっぽん縁が切れていく。
 
 如何に下手であったとしても、新卒から数年間を一途に仕事へ打ち込んできた身としては、仕事も人間関係も何もかも振り捨てて遠方へ行くのはやはり恐ろしい。
 
 しかし、もう、行くしかないのだ。
 
 最愛の傍に居るために。