何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

アル中、会社辞めるってよ

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  近所のお稲荷さんと桜。屍体など埋まっていなくとも、魂を喰われるほどに美しい。

 

この男の後日談。

 

kinaco68.hatenablog.com

 

 彼の男が会社を辞めるという。入社3年を全うするぎりぎりでの退社である。ブラックと呼ばれて久しいこの業界では、入社3年以内の辞職は珍しいことではない。彼が職を辞すと聞いて、驚く者はとうに居なかった。誰もが、来るべき破綻を予見していた。

 

 朝起きられなくなり、午後から出社する。やがて一日来られなくなり、休職し、時短勤務の後に職級を変え、しかしまた休みがちになり、休職し……理由はどうあれ、勤務のうちに病んで会社を辞めていく人間の辿る軌跡は似通っている。

 

 彼の送別会は昼に行われた。定食屋の膳を前に送別の挨拶を行うという喜劇的要素。

 何故、昼に送別するのか?理由は言わずもがな、夜の店は彼の病にとって毒でしかないからである。最初は辞退する。しばらくして最初の一杯に口をつける。一杯目をちびりちびり、やがてぐっと飲み干す。特に変わったことは起こらない。何だ、自分はきちんと酒量をコントロールできるじゃないかと思う。二杯目に手を出したら、もう五杯目も十杯目もわからない。一度飲んだら止まらないし、止められない。自分の意思でも他人の力でも止めることはできない。言葉も愛も、もう彼には通じない。アルコール依存症は不治の病だ。それはただの酒乱とは次元が異なる、ケダモノである。

 

 彼の男の不気味さをいったいどのように表現すればいいのだろう。私と同い年のつるりとした顔面。酒焼けした赤みもなければ、不眠に苛まれた隈もない。相変わらずの老け顔で顔色は青いものの、引いて見れば何も変わらない、「いまどきの若者」である。顔の真ん中、二つの眼球を除いては。

 

 インクを二滴、ぼとりと垂らしたような点。生命力が通過した焦げ穴。どす黒い洞の中で、ぐるぐると情念が渦巻いている。念の正体はわからない、何かが歪んで狂っているということだけはわかる。わかりたくないが、わかってしまう。

 

 去年の夏頃から、彼は会社に来なくなった。風の噂に、内臓を患って入院したという。患う箇所が頭蓋骨の内側であることを私たちは知っていた。知っていて、何も言わなかった。関わり合いになりたくない反面、安堵もしていた。「入院しているらしい」「なかなか退院できないらしい」「専門病院に移ったらしい」彼の話を聞くたびに、後ろ暗い温かさが心に注がれる。ブラック企業の新卒3年目、誰もが淵のきわを歩いている。ああ良かった、病んで会社に来られなくなるのは私じゃあない、、、

 

 送別会にて、彼は思ったよりも健康そうな表情をしていた。すぐには就活せず、しばらく旅行でもして人生を見つめ直すという。やはり目に光はなかったが、爽やかさすら感じる話ぶりであった。

 

 三月末日、そうして彼は会社を去っていった。

 

 結局、私が彼にここまで引きつけられた理由は何だったのだろう? 酒が入った彼は、見事に女だけを狙って肉体攻撃をしかけていた。骨と皮だけのような男でも、自分より弱い相手を見抜くことは上手いのだ。私は彼の凶暴さを憎み、蔑み、恐れていた。それでもなお、彼のことを何かと気にかけてしまったのは、彼の病みが発する輝きに、自分の病んだ部分が共鳴したからだろう。どこかで道を曲がっていたら、わたしが彼のようになっていたかもしれないのだ。社会から転落し、白昼の光の中、病院の天井と垂れ下がる点滴の管ばかり見つめて、、、

 

 でも、彼は自分の意思で進むべき道を決めた。その背中はこれまでの経緯を吹き飛ばすほど、清々しいものだった。病む効用、というものもあるのかもしれない。

 

 というわけで、アル中、会社辞めるってよ。

 

 溌剌とした顔しやがって。そんな表情、初めて見たよ。

 

 せいぜい、わたしの知らないところで幸せになりやがれ。