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何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

時間の盥

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 大学院に通っていたころ、恐ろしいほどに金はなかったが(生活費用の口座に数千円しかないことがざらだった)、時間はそれなりにあったように思う。

 とりわけ、就活も終わり、単位を取りきってしまった2年生の後期などは、授業も無く出かける予定も無く、修論を書かねばならないのにひたすら布団にへばり付いて出られないことがよくあった。 時間はあったし、やりたいこともそれなりにあったはずなのに、何もしなかった。あの時期の成果物といえば、合わせて100ページほどの小説を二本書き上げたくらいである。
病気が治りきってなかったとはいえ、あまりに悲しい数値だ。

 つまり、授業という約束が無くては生活リズムが作れなかったのだ。

 時は流れて、会社員になった今はどうか。皮肉なことに、学生の頃よりも遥かに生活リズムを作れていると思う。帰りがどれほど遅くなっても、翌る日はだいたい6時に起きられる。仕事から帰ると今度は家事で、幸か不幸か退屈の泥濘にはまる時間もない。肉体的にはよほど健康になったし、経済力も身に付いた。誰かの財布から借りないお金は人間に自信を与えるのだ。

 けれども、あまり生きている実感を感じないのも本音である。いま、趣味といえば往復3時間の通勤時間にKindleで本を読むくらい。いわゆる能動的知性、というものがまるで働かない状況がこの一年、ずっと続いている。与えられたものを享受するだけの生活は、少しずつ心を窒息させていく。
 脳の中で、いつもドアを叩いている声がある。書け、書け、もっと書け、と。普通にかぶれてからというもの、ずっとその声に耳を塞ぎ続けてきた。

 そろそろ、価値観の転換を図らなければならないのかもしれない。学生時代の私は、とにかく働きたかった。働いて、「ふつう」の世界で生きたかった。そして「ふつう」になった私は、会社でも家庭でも、激務の果てに壊れそうになっている……


 生まれ変わりがあるならば、人間の女にだけは生まれたくない、と思う今日この頃である。
 でも、「人間に生まれ変われるのはこの一生だけ」、「火の鳥」の茜丸方式を取るならば、人間になれるのは今生しかないのだから、受け入れて生きるしかないよね。
 

火の鳥 5

火の鳥 5