何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

断片の記(2015/12/12)

 季節外れの南風が吹き、師走とは思えぬほどの暖かさの一日。今年は晴れの日が少ないように思うので、こういう穏やかな日は貴重である。

 今日は北関東までドライブした、守谷SAがリニューアルされていて、綺麗になっていた。以前のプレハブとは見違えるほどの、近代的な建物。新東名が開通して以来、どんどんSAは綺麗になっていくようである。それでいて、地域性も失ってはいない。SAの楽しみの一つが地域のグルメであるが、納豆の名産地水戸を意識してか「納豆タンタン麺」「納豆定食」など納豆を使った料理がどのレストランにも揃っていたのが印象的だった。

 

 学生時代に住んでいた街を訪れる。北関東最大のショッピングモールは、昔から夫婦でお気に入りスポットだった。都心ほどではないとはいえ、テナントは少しずつ入れ替わっており、電器屋が閉鎖した代わりにプラモデルなどを揃えたおもちゃ屋が出来ていた。おそらく、減り続ける子供よりはお金を落としてくれる大人を対象としているのだろう。

 

 モール内の「珈琲館」でお気に入りの「陰干し珈琲」を飲む。陰干し珈琲とは、ブラジル産のコーヒー豆を陰干しにしたもの。本来、赤くなるはずの実が黄色くなったというこの豆は風味が繊細なため、損なわぬように陰干しにして自然乾燥させたという。味わいが深いのに飲み口がすっきりしていて、珈琲館らしさを感じる。紅茶のクッキーがほろほろと口のなかで崩れ、茶葉の香りが広がる。冬の光を眺めながら、暖かい部屋のなかで珈琲をいただく。何よりも贅沢な時間だ。

 

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 先週、風邪を引いた中に試験があり、雨風吹きすさぶなか都心の試験会場に向かったことは、体に殊の外堪えた。一時間半の試験を受けている間、ぐんぐん熱が上がっている体感があった。高熱のために関節が痛み、帰宅してから寝床に伏す姿はまるでリューマチ病みのようだったと思う。その上、「明日は休めないから」と風邪薬を妙なタイミングで飲んだのがいけなかった。熱を出しきらずに薬で症状を抑え込んでしまったために、風邪を治し切るのに時間がかかってしまった。

 

 もともとが頑丈であまり体調不良に陥らないせいか、病気にはとても弱い。何が弱いかといえば病気の時期をじっと耐え忍ぶ、「堪え性」がない。病弱な子供は外に出られず、「どうしようもない時期」を乗り越えるために忍耐力を身につけるというが、闘病に必要なのは、薬よりも医療よりも忍耐力なのではないかと思う。病気に限らず、人生に「どうしようもない時期」というのは必ず存在して、早く逃れようともがく程に苦しむようだ。大切なことは、嵐が全てを奪うように感じられても、自分は決して損なわれないのだと信じること。嵐がいずれ去るときまで、じっと耐え忍ぶこと。

 

 一見、不快にしか思えない症状にも、実は深遠な意味があるということか。考えてみれば、これは私の人生にとって大きな意味を持つ事柄のようにも思える。上辺の現象に心を惑わされず、その奥の意味に想いを馳せること。簡単なようで難しい。一喜一憂は私の習い性なのだ。