なぜ働くのか-お金は大切だ編
2015年も来月から下半期、ということで社内では退職の挨拶周りにうごめく人をよく見かけるようになった。
今のご時世、新卒で就職した会社に一生添い遂げる、なんてことは神話に過ぎず、いろいろな事情に迫られて何度か転職を経験する人がほとんどなのであろう。とはいえ、転職は生易しいものではない、とも思う。
最近になって仕事を辛いと感じることが多くなった。その理由について、小さな分析を試みる。
そもそも、何故わたしは働くのか?考えに詰まった時はマインドマップを描くといい。
思考の幹に絵の葉を載せることで、朧げではあるが、自分が仕事について何を考えているかが掴める。
仕事について、ぱっと思いついた要素は以下の4つ。
- お金
- 人とのつながり
- メンタル
- 意義
考えがまとまらないので、今回は「お金」の要素についてだけ語ろう。
お金について
言うまでもなく、資本主義社会でお金の有無はいろいろな意味で生命に関わる事項だ。カネが無いのはクビが無いのといっしょ、カネのある不幸とない不幸では、苦しみの階層が違う。
生い立ちを辿れば、中高と私立学校に通わせてもらい、大学院まで仕送りして貰うという優雅な生活をしていた。何を解ったようなことを言っている、と自分でも突っ込みたくなるが、この根底には、わたしが高校生の時に父親が突然会社を辞めてしまい、その後、現在に至るまで無職を貫いているという事情がある。
それまで、わたしにとってお金は空気と同じだった。あることが当たり前で、感謝も意識もする必要がなかった。
父親が無職になって、奇しくもわたしはお金の重みを知った。貯金通帳に残高があること、使うと減ること、増える当てが一向に無いことを知った。いつの間にか、タコのように自分の脚を喰って生きていることを知った。喰えば喰うだけ、無くなっていく。
貧乏というのは、何をするにもお金が掛かるということなのだった。お湯を沸かせばガス代が掛かり、水を飲みたければ水道代を払わなければならない。女という無闇に維持費が嵩む性別に生まれたのも不幸だった。誰しも、見た目を整えないものは蔑むもので、見た目を整えるためには投資が必要だ。財布を取り出すために罪悪感が胸を刺した。ずいぶんと損をしたものだと思う。
さて、無職を貫く父親についてだが、職のない老年男性の生活は、つまり悲惨だ。終日ぷらぷらぷらぷら、本を読んだりテレビを見たりインターネットに毒されたり、ひたすら不健康な要素しかない。重ねて、在りし日はそれなりの地位があったものだから、自分を認めてくれない世間に対する恨みは年々増していった。父親を閉じ込め、縛り、守っていた会社という布団を引き剥がされて、裸の自身はうそ寒いばかりだったのだろう。苛立ちから戯れに娘を殴るようになり、最終的には殴るために殴るようになった。
父親のこのような姿を見て、わたしは何としても就職しなければならないと思い詰めた。社会と繋がらなければ、人間はあっという間に壊れてしまう。わたしの大好きなお父さんは、社会に背を向けて壊れてしまった。お金が無ければ、愛するペットの医療費さえ支払ってやれない。わたしはしゃにむに職を求めた。カチカチ山の狸のように、背中に業火が燃えていた。一度でも足を止めれば焼け死んでしまう。恐怖心だけで説明会場に向かい、エントリーシートを捏造し、自分を偽って面接官に微笑みかける。
当然、そんな人間が採用されるはずがなかった。
現代の就職活動について(言いたいことは山ほどあるが)、最大の欠点は学生の生命力を奪うシステムが構築されてしまっていることだろう。
わたしの場合、留年する選択肢など無かったので、どれだけ安値で自分を買い叩かれようと、売り込むしかなかった。必死になるほど、内定は遠ざかった。
何とかその年の夏に今の会社に滑り込むことができ、今は毎月給料を貰う暮らしをしている。
が、未だにお金を使うことが怖い。とりわけ、自分のためにお金を使うことは大いなる罪としか思えない。この呪いがいつ解けるのか、わからない。
カネがないのは クビが無いのといっしょ
はたらこう はたらこう せっせとはたらこう〜♩
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2008/12/11
- メディア: 単行本
- 購入: 71人 クリック: 566回
- この商品を含むブログ (378件) を見る
地獄に向かってひた走れ!