何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

夫とのコミュニケーションを変えたら劇的に過食が改善した話

 つい昨日、感動することがあったので走り書き。

 私は摂食障害持ちだ。孤独な学生時代が一番症状が酷くて、10kg以上体重が増減したこともある。就職し、親を捨てて自立したことで症状はだいぶ改善されたが、未だにストレスが溜まると症状が出るので、鬱陶しい反面、メンテナンスのサインがわかりやすい。
 
  人間は、人と関わることでエネルギーを得る反面、ストレスも感じる。つまり、対人関係こそ精神面の要と言えるのである。そして、最大の対人関係といえば、最も身近に居る人との関係、すなわち夫婦関係である。

 私とパートナーは、夫婦になって一年足らず。その道のりは平坦なものではなかったし、一寸先もよく見えていない、と思っている。自分たちだけではなく、どこの夫婦も似たようなものだ。幸せ一辺倒でも、墓場でもない、リアルな生活が結婚である。

 パートナーと家庭を築くようになって、距離感がそれまでとは大きく変わった。
 有体に言うと、パートナーがより私の敷地に踏み込むようになってきたのだ。

 パートナーは目端が利くタイプだ。何でもそつ無くこなし、器用に人生を漕ぎ渡っている(ように見える)。対して、私は平坦な道ですらつまづく、生きるのがあまりに不器用な個体だ。ぎこちなく、たどたどしく、全てにおいて効率が悪い。

 パートナーは、あまりに不細工な私のやり方に、いちいち口出しをしてきた。煮物の味付けから窓の磨き残し、果ては趣味の領域にまで、細かく粗を見つけては意見をくれる。
箸の上げ下ろしから、一挙手一投足に至るまで、批判の目に晒される。海原雄山と同居しているようなものだ。

 私は一時期、料理も掃除も趣味までも、大嫌いになってしまった。

 生活していて息が詰まる、という実感を味わった。そして、誰にも相談できなかった。
 ストレスが高じると過食が起こり、仕事中に甘いコーヒーとチョコレートが手放せなくなった。これらを多量に求めるときは、鬱の淵に足を掛けているときだということを、私は朧に知っていた。

 最近、この本について紹介した記事を読んだ。(本書は未読)

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学


 この本によると、「食 = 人との関わり」であり、人との関わりに障害を抱えると、食に影響が出るのだという。

 長いこと、「何故自分はまともに食べられないのか」と疑問に思ってきたが(過食は誰にとっても恥ずかしいものだ)、この本から、それは当然のことだということが理解できた。

 私は、「我慢する」ことでしか人との関係を築けなかったのだ。そして、そのやり方は限界に来ている、とも。

 自分の意見を言えず、ただ相手の要求に合わせているだけの生き方、自分が我慢することで人間関係を維持するやり方は、いわば子供の生き方だ。自分さえ我慢すればそれでいい、そういう生き方は必ず破綻する。何故なら、人間はそもそも我慢が出来るようにはできていないからだ。

 これまでの人生を振り返って、私はどれだけ他人の拒絶を恐れていたかを思い出した。拒絶というほど激しいものでなくても、自分が言ったことで相手の顔色が曇ることに、死ぬほどの苦痛を感じる子供だった。そして、未だに子供っぽい生き方を引きずっていたのだった。

 言うまでもなく、私はパートナーを愛している。そして、愛とは盲従ではない。甘やかしと愛が正反対にあるように、自己主張せず相手に合わせ続けて生きることほど、お互いの関係を病ませるものはない。

 私は具体的に、パートナーへ二つのお願いをした。

 「あなたは私のやり方を常に批判する。しかし、私にも事情がある。あなたの要求に応えられることもあれば、応えられないこともある。改善するかしないかは、私の意思で決める」

 「あなたは呼吸するように私を批判するが、私は逐一傷付いている、ということを理解してほしい」

 予想通り、パートナーは腑に落ちない顔をしていたが、とりあえず「わかった」と言ってくれた。この一件で、パートナーの小言が減るとはあまり期待していない。しかし、私は本音を相手に話した。危険極まりない人間相手に本音を話して、それが世界で一番大切な相手に受け入れてもらえたのだ。これほど素晴らしい、心が温かくなる経験はなかった。

 この二言を言うのに、どれだけの恐怖と葛藤があったことだろう。
 これほどまでに、私は人間を恐れていた。これほどまでに、私は人間を誤解していたのだ。

 一夜明けて、私は毎日手放せなかったチョコレートを欲しくなくなっている自分に気が付いた。コーヒーは買ったが、これはおまじない程度のものだ。渇望の熱が去ったのを感じた。コミュニケーションのやり方を変えたことが、食欲へダイレクトに効果を表したのだ。


 本音を話して、相手に受け入れてもらうこと。 これこそ、生きている甲斐があると思う。
 行動が改善されるかどうかは問題ではない。心が通じあうことが大切なのだ。