君は悪くない
生理が来ると、いつも思うんだ。自分は動物なのだと、思い知るんだ。
生理が来ると、少し遅れて痛みがやってくる。
腰が痛くなったり頭痛がしたり、食べ物を受け付けなくなったり、匂いが気になったり、とにかくいろいろな場面で不自由になる。
旅行もイベントも、生理の時期を考慮して計画しなければならない。生理2日目が一番体調が悪いからその日はおとなしくしていよう、とか、コーヒーを出すカフェには近づかないようにしよう、とか。
でも、それ以上に辛いのは生理について他人から責められることだ。
「顔色悪いじゃん。えっ今日生理?あーあ」
「鎮痛剤とかこれみよがしに飲むなよな」
「生理痛があるのはそれだけ悪い生活をしてるからなんだよ。お酒もコーヒーもチョコレートも、食べるからいけない」
「体を冷やす格好してるからいけないんじゃん」
「体の歪みが酷いから生理痛が起こる。自然にしてれば痛みなどあり得ない」
「みんな働いてるんだから、生理など知ったことか」
これらの言葉を生理に苦しむ個人に投げかけるのは、老若男女を問わない。生理痛があるのは個人の責任であり、生理は女に生まれた罰なのだ。何の気なしに開いたメディアから毒矢が刺さることもよくあることだ。
みんな、女の自然を憎んでいる。
働け-働くな。
稼げ-稼ぐな。
食え-食うな。
生きるな、生きるな。
生理痛は自分の生活が悪いせいで起こる。つい最近まで、わたしもこれらの迷信を信じていた。
生理痛の原因は、眠気覚ましにコーヒーを飲むせい。
ストレス解消にチョコレートを食べるせい。
毎日残業して、寝る時間が遅いせい。
女子会で女のくせにお酒を飲むせい。
これらの迷信を信じて縛り付け、反してしまえば自分を責めてこれまで生きてきた。そして、これらの「正しく」「健康的な」情報は、わたしを1mmも健康にしてはくれなかった。
こういう時、教祖は必ずこう言う「それはお前のやり方が悪いのだ」と。
わたしはカルト宗教に自分から嵌まり込みに行っていたのだ。
しかし、例えば不幸にしてガンになってしまった人がいたとして、同じように社会はその人を責めるだろうか。好きで、病気になる道を選ぶ人はそんなにも多いだろうか?食べ物の嗜好も生活リズムも、すべてその人の責任にあるものだろうか?経済的な理由で昼と夜の仕事を掛け持ちにしなければならなかったり、家族から受け継いだ味覚が偏っていたり、たまたま住んだアパートの建材にアスベストが使われていたり。「自分ではどうにもならないこと」が人生には満ち溢れていて、初めから不自由な世界で、それでも最善の選択をし続けているのではないだろうか?
自分のせいにできることは、実は驚くほど少ないのではないだろうか?
そしてわたしは、女の自然を憎むことをやめた。
君は悪くない
君は悪くない
君は、悪く、ない。
生きてくれて、ありがとう。
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