何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

はじめての結婚記念日

 

 来週で、結婚して一年になる。パートナーはこの日のために、張り込んで懐石料理の店を予約してくれた。はじめての結婚記念日というわけだ。

 

 結婚については年々センシティブなワードになるようである。わたし個人としては、結婚はいいもの、明るいもの、温かいものであると思う。ネガティブな事を書いた方が注目を集められるだけで、結婚の本質は実際に関係を築いて、努力した人にしかわからない。

 

恥ずかしい話

 婚姻届を出したのは、雨がしょぼしょぼ降る蒸し暑い日だった。わたしだけがはしゃいでいた。プロポーズされた口先を信じて抱きしめて、婚姻届を持っていったら「ちょっと落ち着こう」と言われた。情けないったらありゃしない。

 結婚してすぐにパートナーは海外へ一ヶ月の出張へ行った。発展途上国なのでネットの回線がよく途切れた。帰国時に、成田空港へ降り立ったパートナーは迎えに来たわたしを押しのけて税関へ飛んでいった。情けないったらありゃしない。

  長期出張から一ヶ月後、中一週間でパートナーは九州へ出張することになった。ちょうどその頃は私の仕事が佳境に入っており、何よりも精神的な支えが欲しかった。パートナーは片田舎の工場で、暇を仕事にしていた。わたしが夜道を変質者に追いかけられて逃げている時、パートナーは仲間と遊んでいた。情けないったらありゃしない。

 生活を共にしてわかったことは、自分は「パートナーにダメ出しされると過剰に傷つく」ことだった。わたしは誰が見ても雑な人間で、家事はこまめにやっても粗が目立つ残念な有様だ。そこをパートナーは的確に指摘してきた。他の誰に言われても気にしない些細な言葉が、パートナーに言われると至近距離で銃弾を撃ち込まれるような衝撃を感じた。相手の期待に応えようと思い、常に緊張して日々を過ごした。そんな毎日は疲れる。

 戸籍を変えても指輪をはめても、パートナーは結婚した実感を持てないようだった。わたしが意識の範疇に入っていないのだ。親兄弟とは異なる枠が、わたしには用意されていなかった。その度にわたしは傷ついた。

 パートナーに結婚の自覚ができたきっかけは、結婚式の準備を全面的に取り仕切った経験だと思う。紙切れ一枚では実感が湧かなくても、親戚知人に招待状を出し、料理を決め、プログラムを考えるうちに少しずつわたしを意識の範囲内に入れていったようだ。

 

 だけど、その頃にはもう、わたしの心身は疲弊しきっていた。

 

結婚1年目の変化-名前のこと

 勤め先が東京であるせいか、わたしの周りでは結婚している人が少ない。わたしは二十代半ばだが(そろそろ後半だけど)、結婚しているというと初対面の人はおろか知人にすら驚かれる。醸し出される非モテオーラのせいか

 わたしは結婚しても変わらず仕事をしているし(夜勤も緊急呼び出しもこなした)、財布も別々のままだ。結婚に関わる諸々の手続きは楽しかった。旧姓が嫌いだったので、違う苗字に変わったり、本籍を移したりする作業は快感ですらあった。とはいえ、職場では旧姓が通称として使われているから、イマイチ改姓した気分を味わえないのだが。

お金のこと

 基本的に自分のお金は自分で払うスタンスなので、相手がどの程度稼いでいるか、親から受け継いだものがいくらあるのかお互いに全く興味がない。結婚式で頂いたご祝儀を「子供のためのお金」として共用の財産にしようか、と話しているくらいだ。なので、経済的な面では結婚前と後でほとんど変化がない。自分が稼いでいるから、相手の金を恃みにすることがない。

 

 ここまで強迫的に経済面の自立にこだわるのは、自分の生い立ちに原因がある。

 自分の育った家庭は父が稼いで母が専業主婦、という完全な依存関係の元に成り立つものだったので、母の父に対する態度の卑屈さは子供の目にさえ余るところがあった。経済的に依存関係にある母が自分の存在意義を示すためには、朝な夕なに何くれとなく生活に干渉して、生活面で依存させるしか方法がなかった。こうして、父は米すら研げないオッサンとして完成し、母は社会への恨みを固着した。結局、その後の転機(父の失職、介護の必要性)を上手く乗り切れなかった理由は、家事が全くできない父とプライドが高すぎて人に使われない母が最悪の形で噛み合ってしまったせいだと思う。わたしが就活していた時期が一番ひどくて、誰も働かないのに介護で毎月莫大な金が出て行く状況に陥ってしまっていた。あの未来が無くなっていく感じは、恐怖として骨身に沁みついている。

 

 とはいえ、相手が何らかの理由で働けなくなった場合はもちろんわたしが代わりに働くつもりだ。何かあったらお互い様、の精神で助けることは厭わない。また、助けられる場合も受け入れる(抵抗はあるが)。法律にある扶養の義務以前の問題として、パートナーを助けるのは当然だと思っている。

 

精神面のこと

 経済的に相手の世話になっておらず、授かり婚のようなでかい鎹もない妻にとって、恋愛結婚のパートナーに求めることは「心の支え」である。

わたしは学部〜院卒まで6年間、一人暮らしをしていた。自分で生活をコーディネートできる一人暮らしは楽しい反面、何もかも自分で決めなければならないストレスも大きかった。人とつながりがないと、段々と人間は壊れていくのだと実感した。

 

 就職した当初は実家に戻って暮らしていたが、家族との間が険悪になったこともあってパートナー(当時は彼氏)の家へ逃げるようになった。彼の家はわたしの勤め先からかなり遠かったので、貯金して一人暮らしをする前提でわたしは彼のアパートに通っていた。会社の近くに瀟洒なアパートを借りて、気に入った古民具の一つも置く暮らしを彼に提案したところ、そんな金を使うのは勿体ないと言われ、一緒に暮らそうと言われた。そして流れのままに同棲し、半年後に結婚した。

 

 付き合っていた当初から、わたしは彼に何かを奢ってもらう機会を出来るだけ避けていた。院生というのは悲しいくらいお金がない存在で、さらに当時の我々は片道4時間かかる中距離恋愛だった。その中で交通費をいかに安く済ませるかに血道を挙げて、彼との交際費は全て自腹だった。

 今思えば肩肘を張りすぎ、自分以上に相手に負担をかけていただろう。前述の両親についてのトラウマから、経済面で相手の世話になることは相手の中にある「DVスイッチ」を押してしまうような気がして怖かった。

 経済面で依存しないことで、恋人関係のまま結婚生活に移行しようと企んでいたのだが、その見通しは甘かった。端的に言えば、わたしは金と家事で相手の心を買おうとしていた。わたしは生活をコーディネートし、家計に貢献することで相手に依存する権利を買ったつもりでいた。でも、当然だが相手にそれは伝わらず、わたしは稼ぐほど家事をするほど、存在を軽んじられ(たように感じ)るという不毛な関係を築こうとしていたのだ。頼んでもないのに一方的に与えられる善意は重い。その重みはいずれ誰かの背骨を折ってしまうだろう。

 

 わたしは、新婚の一年間を費やして、努力の方向が間違っていたことをようやく認めた。

 

人間関係は育てるもの

 

夫婦・パートナー関係 (対人関係療法で改善する)

夫婦・パートナー関係 (対人関係療法で改善する)

 

 

 夫婦・パートナー関係は時に最大のストレスとなりうる。が、やり方次第では最大の生きる力ともなる。

 

 人間関係は常に期待のすれ違いだ。衝突したり冷却したり、お互いに努力して、その度に修復していくものなのだろう。どちらか一方が努力しているだけでは絶対に上手くいかないし、その努力は独善でしかないのだ。

 

 とはいえやはり、相手に「察して欲しい」「甘えたい」の衝動が湧き上がることは多々ある。そういう時、わたしは「今こそ互いを育てているのだ」と考えるようにしている。育つとは成長することで、成長は時に痛い。が、成長しなければ未来はない。

 

 共に未来を目指す相手がいること、出会えたこと、成長していけることに心から感謝したい。それが、はじめての結婚記念日を迎える感慨だ。