何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

話すよりも書く人になりたい

  日中、基本的に人と会話しない仕事をしているせいか、仕事終わりの夕方、夜、休みの日と喋りたくてたまらない衝動に駆られる。端末の黒い画面は饒舌に喋りかけてくれるが、コードだけではコミュニケーションの絶対量が足りないのだ。

 しかし、今度はひとたび喋り出すと止まらないようになってしまった。人の話を聞いている間に、話題が頭の中にどんどん湧いてきてしんどい。衝動が内側から唇を激しくノックする。俺が俺が喋りたいそればかり。人の話を聞くほど楽しいことはないのに、自分が喋る刹那の快楽に身を任せてしまう。フラストレーションが直観を捻じ曲げ、舌からは刃が生える。結果として、人との付き合いが難しくなる。

 「コミュニケーション能力が大事」とふんわり煙に巻く社会人になってこそ、皮肉にもコミュニケーションが明らかに下手になってしまったのだ。

 こういう時、自分を紙に落とす術が曲がりなりにもあって本当に良かったと思う。話す人格と書く人格は違う。私の場合、書く方の人格は比較的冷静で慎重なので、ほんの少し言葉を選ぶ自由がある。話し言葉よりは言葉に使われないで、指先から浄化が始まる。

 書く人格にとって、コミュニケーション不全の今こそチャンスなのかもしれない。口から浪費されない分地下の水脈が豊かになり、泉のように湧き出る時が来たのかもしれない。汲み出して汲み出して、涸れるならそれまで。言葉は鍛えることが出来る。出し惜しみはしない。

 もの言わぬ木石と向き合うほど、自分の内面は豊かになっていく。紙に落としてこそ、豊かさは育まれる、かもしれない。


草枕

草枕


 最近になってようやく、Kindleの存在を知った。iPhoneでもアプリで読めるので、今や猿のようにKindle電子書籍を読んでいる。

 通勤退勤の電車で読むほどに、草枕は効く。