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何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

ひとの期待に応えるな

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

 はてなブログって、アプリからだけじゃなくてスマホのWebページからも書けるのね。というわけでスマホから書き込み。


 今の仕事が佳境に差し掛かり、そろっとしんどい時期が来ている。

 過重労働続きの頭で思うことは、「ひとの期待に応えるのは無駄」ということだ。


 先日、アルピニスト 野口健の講演会に参加した。彼はエベレストに最年少で登頂を果たし、その後は毎年ヒマラヤに滞在するという生粋の山男。彼の言葉の中で印象的だったのは、


 「僕が三度目の正直でエベレストに初登頂したとき、そりゃあ周りはちやほやしてくれました。過去二回の失敗時は親の仇のごとく叩いたマスコミが、ニヤケ顔で掌を返してね。登頂達成の記者会見で、ある記者がこう言ったんですよ。


 『どうですか野口さん、次は厳寒のエベレストに登ってみては』


  その時、僕は痛感しましたね。あ、こいつらの期待に応えたら僕は死ぬな、と」


  「その頃の僕は今よりずいぶん若くて向こう見ずでしたけど、如何に目立ちたがりの若造でもマスコミの期待は人を殺す、というのはよくわかりました」


   「それから、僕はひとの期待に応えることを止めました。 僕が相手にするのは山であり、自然であって、有象無象の人びとではないのだから」




 昔から、ひとの期待に応えようとばかりしてきた。


 生まれ落ちては母親の期待を受け止め「お母さんほんとは男の子がほしかったの」

 学校に上がれば父親の期待に晒され「お父さんは無理でも、お前なら東大に行けるはずだ」

 教室では先生の期待に填り込み「大人しくて、成績が良くて、目立たない生徒こそ忘れよう」

 部活動では顧問の期待に打ちのめされ「いつでも殴れて文句を言わない」

 

 そして、会社では24時間出勤可能なロボットの役を期待されている。


 そろっと、周囲の期待を自分の軸に据える生き方から卒業しようと思う。


 期待はずれ

 役立たず

 ごくつぶし

  人の評価がなんぼのものか


 他人の落胆は怖くない。 怖いのは、自分の人生に落胆することだ。


 人が私を見捨てても、人生は絶対にわたしを見捨てない。


 幸せはきっと、外に求めるものじゃなく、こころの態度が決めるものだ。


 人生は、姿勢で決められる。