何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

【ネタバレあり】映画レビュー「マレフィセント」

※ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

 

f:id:kinaco68:20140706121857j:plain

 

【あらすじ】

 

 「16歳の誕生日の日没前に、姫は永遠の眠りにつくだろう。糸車の針に指を刺して」

  招かれざる客として祝風の場に現れた、邪悪な妖精マレフィセント。彼女はオーロラ姫の誕生祝いに呪いをかける。

 

 何故、彼女は呪いを掛けたのか? 何故、悪役は悪役なのか? オーロラ姫を呪い、運命を狂わせた悪役・マレフィセントの側からの物語が今、目覚める――― 

 

 

 

 

 

 

 

【感想(ネタバレあり)】

 

 「眠れる森の美女」といえば、呪いによって百年の眠りについたオーロラ姫が、通りすがりの王子様のキスで目覚め、ついでに呪いを掛けた邪悪なドラゴンも討伐してめでたしめでたし……というストーリー展開がお約束。姫を始めとする人間が正義なら、悪役は人間以外の悪魔や泥棒など。一貫して邪悪であり、最後には討ち滅ぼされなければならない。それが、夢と魔法を旨とするディズニー世界の不文律であった。

 この映画の作製陣は、ディズニー世界の原則に真っ向から勝負を挑んだのだ。

 

ディズニープリンセスの変遷

 

 「塔の上のラプンツェル」以降、ディズニープリンセスものは「女性の自立」がテーマとして全面に出てきたように思う。

 


塔の上のラプンツェル最新予告【高画質】 - YouTube

 

 「ラプンツェル」では、悪役は悪魔でも魔女でもなく、「母親」が主人公に立ちはだかる。ラプンツェルとマザー・ゴーテルとの間には血縁関係が無く、本当の両親は別に居るのだけれども、「母」たる者が敵として配置されているのは興味深い。マザー・ゴーテルは娘を溺愛する母親として描かれるが、実際は娘を高い塔へ監禁し、髪の魔法で若さを保つためにラプンツェルを縛り付けている。(「塔の上」を「箱の中」に言い換えればよりわかりやすいだろう。外界への窓を閉ざし、蝶よ花よと育てるのは古典的な虐待手法である)

 

 また、この母親が、悪役にありがちな魔法を一切使えない、というのも面白い。邪悪さはスーパー・パワーに依るものでなく、子供を私欲のために支配すること自体が悪なのだ。作中で塔から脱出したラプンツェルは、「私は自由よ!」と走り回るかと思えば「お母様になんて酷いことをしてしまったの…家へ帰るわ…」と落ち込む。自由を得た解放感と母親への罪悪感。「親離れ」の儀式に激しく葛藤する様がユーモラスに描かれており、はっとさせられる。

 


「アナと雪の女王」予告編 - YouTube

 

 「ラプンツェル」でも続く「アナと雪の女王」でも、「姫」ないし「女性」キャラクターから「かよわく、王子様に守ってもらう」要素がほとんど無くなり、「力は弱くても勇敢に戦う」キャラクターへ変わっていっている。ラプンツェルは長い髪と持ち前の聡明さ(及びフライパン)で戦えるし、エルサは氷の魔法を操れる。スーパー・パワーを持たないただの人間であるアナも、単身雪山に突入し、狼を撃退するほどの勇気の持ち主である。剣を振るい矢を放たなくても、彼女たちはそれぞれの道具を活かして戦うことができるのだ。

 

 さて、前置きが長くなったが、「マレフィセント」の主人公といえば、彼女自身が物凄く強い。だってアンジェリーナ・ジョリーだぜ……というツッコミはさておき、翼を奪われてからは魔法に頼る部分が大きくなったものの、イバラの壁を攻めに来た軍隊など簡単に追い払っている。「姫」であるオーロラ姫も、戦いのクライマックスで重要な働きをして勝利を呼び込んだ。二人とも、守られることを期待するでなく後方へ下がって逃げまわるでなく、自分の意志で戦おうとする。「女」であることに、一切の甘えがないのだ。

 

 反面、王子様の影が薄い。申し訳程度にオーロラとイイ感じになるエピソードが挿まれてはいるが、呪いを解く段になっては全く役に立たず、後にドラゴンが出てきた場面では参加すらしていない(笑)。王子様なのに存在を完全に無視されている。「マレフィセント」の物語に、王子様は必要ないのである。

 

 「彼女は、男の貪欲さと嫉妬深さをまだ知らなかったのです」

 

 マレフィセントと王の因縁は、王が彼女の信頼を裏切ったことにある。その結果、マレフィセントは「翼」を失い、王は一国の最高権力者となった。王の欲望のために大切なものを奪われたマレフィセントの心は捻れてしまった。王への恨みによってマレフィセントはオーロラ姫を呪うこととなるのだが、この時、マレフィセントへ懇願する王が周囲の貴族たちの反応を伺っているところなど「この期に及んで面子を気にするんだな〜」とリアリティがあることしきり。

 

「翼」に込められた意味とは

 若き日のマレフィセントは、その力強い翼で空を自在に駆け巡ることができた。翼を奪われたとき、彼女は喪失感のあまり泣き叫ぶ。その後、歩くときは杖が手放せなくなり、自分の翼の代わりにカラスのディアヴァルを下僕とするようになる。ディアヴァルがいい味を出していて、主人と下僕というよりは、マレフィセントのよき理解者でありツッコミ役も務めている。基本は忠実だが、文句も言えば要らぬお節介もするディアヴァルに、マレフィセントは救われている部分が多いようだ。マレフィセントが持ち続ける、失った翼への憧れをもディアヴァルは引き受けているのである。

 

 マレフィセントの奪われた翼は、戦利品のように王の居室に飾られ、恐怖ゆえに磔にされていた。マレフィセントは翼が永遠に失われたものとして悲しみ、恨みはいや増すばかりだったのだが、その実翼は生きており、オーロラの手によって「あるべきところへ帰る」。翼を取り戻したマレフィセントは飛翔し、王は転落する。悪は惨めな最後を迎えたのだった。

 

 ここからは完全な妄想だが、王は内心、マレフィセントの翼に嫉妬していたのではないだろうか。野心や欲に縛られることも囚われることもなく、自由に世界を駆け巡る翼。彼女の自由が、王には羨ましくてたまらなかったのではないだろうか。

 

 だから、王はマレフィセントの翼を奪った。しかし、翼はあるべきところへ自ら羽ばたいて戻った。結局、王は失敗し、自らを滅ぼすこととなった。

 

 もし、今際の際にひと息あったら、王はこう言ったかもしれない。

 

 「許してくれ。わたしはお前が羨ましかった。お前のようになりたかった。だが、なれなかった。だから、翼を奪ったのだ……」

 

 「翼」は「処女」とも、「無垢」とも置き換えることはできるだろう。それらはある時期、穢れのない輝きを放つ。その輝きゆえに、暴力によって奪われてしまうことは多い。一度奪われたものは二度と戻らず、欠落と憎しみだけが残る。

 

 だが、それは表面だけのものだ。何度暴力にさらされようと破壊され奪われ尽くそうと、その輝きは生き続けていて、必ずや蘇るのだ。この映画は、そのシンプルな真理を物語に包んで教えてくれたのだった。

 

―――古来、女性は太陽だった。そして、今も太陽のままである。

 


Disney's Maleficent - Official Trailer 3 - YouTube

 

 「マレフィセント」、特に女性へお勧めです!