何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

おっさんと信仰

信じるって何?

西加奈子サラバ!」下巻より

 

サラバ! (下) (小学館文庫)

サラバ! (下) (小学館文庫)

 

 

 

 書くことは、終わらせることだ。誰かを糾弾したい訳でも赤の他人に裁かれたい訳でもない。二十代の間、ずっと悩み続けてきた葛藤について、そろそろ決着をつけたいと思った。ただそれだけである。

 悩みの主題は父について。私の父がどういう人間で、どのように困っているかは以下の記事に書いたとおりである。

 新卒で入社した会社を辞めて、10年間は司法試験の勉強。その後、試験を諦めてからの5年間は特に何をするでもなく、無為に過ごしている。

 そんな父の迷走を、自分なりに総括しようと思う。

甘えと裏切り

 私が物心ついたころから、父はやたらと自分の父親(つまり私の祖父)に電話をかける人であった。父は地声が大きいので、聞く気がなくても電話の話し声はよく聞こえる。話している内容は様々だったが、共通していたのは、いつもは出ない関西弁で滔々と話し続ける、父の甘えきった横顔だった。普段は眉根を寄せて渋い表情の強面が、祖父と電話するときだけはふやけて緩んでいた。私はその顔を見るたびに、何とも言えない居心地の悪さを感じたものだ。それは、家庭では絶対的な君主として家族を押さえつける父親の、ほんとうの顔だった。

 祖父は、戦後に無一文から商売を始めて成功したひとで、温厚篤実な人柄から町内からも尊敬を集めていた。そんな祖父を、父は誰よりも尊敬し、甘えていた。とりわけ祖母が、長男である父を冷遇し、次男の叔父を溺愛する残念な母親であった悲しみが、祖父への崇拝の念を強めたのだろう。父は、祖父を生ける偶像として信仰していた。

 同じように、父は権威を信仰していた。例えば、新卒で入社した会社を信仰した。折しも、父が入社した頃は終身雇用が当たり前の時代であり、かつ父の会社はいわゆる大企業であった。大企業に入社さえしてしまえば、エリートサラリーマンとしての人生は自動的に保障されるはず。父はそんな青写真を描いていたのだろう。

 だが、結果として父は祖父からも会社からも裏切られることとなる。まず、祖父は加齢により健康問題を抱えるようになり、徐々に息子の甘えを受け入れることができなくなった。サラリーマンが排泄する愚痴は打ち切られ、金と健康の悩みが取って代わった。いつの間にか、祖父が父に甘えるようになっていった。次に、不景気の煽りを受けて会社が大規模なリストラを計画した。父が全てを捧げてきた会社は、生き残りのために賃金の高い社員を解雇した。一生涯の保障など、幻想でしかなかった。父はいきなり、「大企業の課長」から、「大企業の課長やったことのあるおっさん」として社会へ放り出されてしまった。

どうすればよかったのか

 今思えば、退職する前に子会社への出向を図るとか、伝手を頼って別の企業へ就職するような手立てがあればよかったのだと思う。しかし、父はエリートの座から降りたことを認められなかった。サラリーマンが駄目なら司法試験だ、と勉強へ逃げ込んだ。そして一度も試験に合格しなかった。度重なる挫折で、父の心は完全に折れてしまった。

 私は、父が無職のまま世の中を怨み続けている姿がとても辛かった。家族とて、手を拱いていたわけではない。何度も再就職を促し、具体的な道を示したり、気持ちを励まし続ける家族へ、父は言葉と力の暴力で報いたのだった。父の言葉は決まっている。「やりたくない。何もしたくない」「できるわけがない」「俺は年寄りなんだ、かわいそうなんだ、若いだけのお前とは違うんだ」。年寄りとは言っても60代前半、持病もなければ障害もない成人男性が言う言葉だろうか。。。

 ここに来てようやく、私は自分が父を救うことができない、という事実に気が付いた。私だけではない、配偶者である母にも、およそ個人の力では父を救うことはできない。もう、ずっと前から父の人生は、父自身の手に負えなくなっていたのだ。

生きるための信仰

 誰にとっても心の拠り所は必要だ。疲れた時、うまくいかない時、悲しみにくれる時。人間の悲しみ、怒り、嘆き、罪悪感。底なしの甘え。そんなものを受け入れられるのは、人間では不可能だ。神様しかいない。だから、多くの国には宗教があるのだろう。

 父に、再起できる日が来るとしたらそれはいつだろうか。まずは抱えてきた甘えを、人間ではない誰かにじっくりと受け止めてもらってからだろう。父は今まで、ずっと努力してきた。頑張り抜いた結果、高齢ひきこもりに陥ってしまったのだ。その嘆きを、大いなる力に受け入れてもらうことができれば、あるいは。。。