何たる迷惑であることか!

独自の路線で生きています

【私の一人暮らし】青春の一滴

 わたしの故郷には山河がありません。

 そのせいではないけれど、一人暮らしは山河に囲まれた土地でしたかったのです。

 

 私の初めての一人暮らしは、大学入学と同時に始まった。旧帝大の前期試験にものの見事に落ち、センター試験の点数で何とか滑り込んだ国立大学。どちらの大学も地元の神奈川からかなり北の方角にあったが、これは高校三年生でかなり大きめの失恋をしたこととは関係ない。

 東京駅から新幹線で二時間弱の雪国へ。やたらと縦に長い県の、日本海にほど近い砂丘にその大学はあった。後期試験はセンターの点数以外は筆記なし、面接を気合いとハッタリで突破した大学は、それまで考えていた大学たちと比べて偏差値が10くらい低かったが、何のてらいもなく私は新天地での生活を受け入れた。

 キッチン・バストイレ別、ロフト付き六畳一間のワンルーム。学生新生活キャンペーンの余りものにしては良い物件だった。上げ膳据膳の実家住まいは18年で終わり。掃除も料理も全て母親任せにして育ってきた分際で、一人暮らしに対する不安は欠片もなかった。東向きの窓からは白銀に凍った山脈が聳え、西向きの扉から外へ出ると、水平線が遠くに見える。春風に吹かれて、真新しいカーテンがふんわりと揺れていた。親を見送って、一人になったアパートで初めて迎えた夜。嬉しくて嬉しくて、なかなか眠れなかった。寂しさなどみじんも感じなかった。ついに自由になった、私の人生がこれから始まる、と確信した。この部屋から、私の青春は始まったのだ。

 

 雪国では桜はなかなか咲かない。裸の枝には小さな蕾が見えるばかりのまだ寒い時期に、大学の入学式は行われた。古くて汚い校舎と、入学したての新一年生の明るさとのコントラストがやたらにくっきりとしていた。

 花見はだいたい、四月も半ばになってようやく行われる。宵っ張りの大学生がやることなので、もちろん花見は夜だ。日が陰る前から寒い公園の地べたにブルーシートを敷いて、みんな凍えながら酒を飲む。寒すぎて誰も夜桜を見る余裕などないのに、なぜか花見は楽しい。

 最初に体調を崩したのもこの頃で、一人暮らしで風邪を引くと、世界の終わりのような気持ちになることを学んだ。一人の部屋で流す脂汗は誰にも気づいてもらえないぶん、実家暮らしの何倍もしんどかった。

 

 雪国とはいえ、夏は結構暑いものだ。大学の生協で無理やり買わされた安い浴衣を着たいがために、ホームセンターで姿見を買った。しかし、自力で浴衣の着付けはできず断念。着付けはいつも、器用な先輩にやってもらっていた。

 花火が有名な県だったので、夏の花火大会は盛大に行われた。信濃川のほとりに寝転んで見上げる花火は格別だった。そして、純粋に花火に感動している私の後ろで、何人もの部員がお互いの顔を見つめ合い、手を握っていた。

 

 雪国の秋は一瞬で終わる。具体的な期間は二週間である。たった二週間で大学の銀杏並木は色づき、黄金の葉を散らす。晴天は二日と続かず、毎日雨ばかり降る。どんどん日は短くなり、鉛色の雲がどんよりと空を覆う。

 こういう時期こそ人は求め合うものらしい。この頃になると、単純に一人暮らしをしている女子の友人はほぼいなくなる。気軽に宅飲みに誘えなくなったと思いきや、いつのまにやら男と二人で棲むようになっていた。

 

冬 

 ゆうに一年の半分は冬なのが雪国である。シベリアから流れてきた雪雲が、日本海の風に煽られていくつもの破片にちぎれ、湿った雪を降らせる。屋根にも道路にも白い雪がうず高く降り積もり、外に出るのも車を出すのもひと苦労。雪が楽しいのは最初の一年だけで、二年生以降、雪は授業をさぼる言い訳にしかならない。降り込めた雪があらゆる音を吸い込んだ夜は静かで、深夜ラジオの笑い声が実に暖かかった。

 こんな土地では、人は自ずと独りを厭い、寄り添うようになるのだろう。この大学が全国で屈指の同棲率を誇ることを知ったのはのちの話である。 

 

 四年間の大学生活で、私は一人暮らしを全うした。好きな時間に起きて寝て、好きなように生きる猥雑な日々であったが、同時に部活の仲間以外、男の一人も連れ込まない尼のように清らかな日々でもあった。そして、それら全てに何の不満も抱かなかった。あれほど楽しい生活もなかったと思う。あまりに楽しくて、大学生活はもう二度と繰り返したくない。四年もあれば十分だった。それほどまでに楽しみ尽くした。六畳一間のワンルームに、私の青春の全てがあった。

 それもこれも、もう十年以上もむかしの話である。 

 

 #私の一人暮らし

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